中南勢音頭通信   長嶋茂雄 9  セーイチ君 | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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長嶋氏をたたえるために「記録より記憶」という言葉が使われるそうである。誰が言ったのかは知らないが、この言葉を前にして私は考えてしまう。「これ本当にほめ言葉か」と。云う側の勝手な自己満足でしかないのではないか。いわれる側にとって本当にうれしい言葉か。アスリートであればなおさらである。「人気に実力が伴っていない」と言われているのも同じだ。

それはともかく私の知り合いにも長嶋茂雄の信望者は今なおたくさんいる。仮にそのうちの一人をセーイチ君と呼ぶことにする。

彼の信仰心は絶大であった。1980年、監督であった長嶋氏が解任された。報復として彼は読売新聞を解任した。彼のうちには新聞が届くことがなくなった。

読売新聞社の誤算は日本全国、いたるところに、このセーイチ君がいたことである。特約店が青くなった。ワタナベさんに泣きついた。1993年、長嶋監督再就任となった。

さすがに今度は間違えなかった。2001年、王・福岡ダイエーホークスを破り日本一となり、めでたく勇退のはこびとなったのである。それに伴う勲章の数々は、私がここに紹介するまでもないことである。が、ひとつだけ、国民栄誉賞。松井秀喜とのアベック受賞。これは何を意味するのか。・・・セーイチ君である。

彼らは国政をも動かした。私も述べてきたように長嶋茂雄という人は決して美点だけの人ではない。熱狂的なフアンがいる一方で、批判される要素も決して少なくない。しかし、やはり日本という国は民主国家であった。選挙を戦う人たちは民心には敏感である。セーイチ君たちを無視するわけにはいかない。さりとて・・・んー・・どうしよう。知恵ものがいた。日米で活躍した選手がいる。松井秀喜とは師弟の間柄。二人抱き合わせということでは、ということでの受賞と相成った。

という話をだれかがしていた。



V9にちなみ9回シリーズでお送りしました。