再開するにあたって、過去の記事についてざっとおさらいをしておきたい。
私がこのブログを立ち上げたのは去年の3月である。まず、「やーとこせー」を取り上げた。全国的には「伊勢音頭」と呼ばれているこの唄は、一般的に信じられている伊勢市ではなく、松阪が発祥地であり、発信地であることを検証した。
次に「しょんがい音頭(しょんが・しょんがりとも呼ばれる)」では、浪曲の古い呼び名である「チョンガレ」のこの地方での訛りが語源であり300年まえに誕生した「河崎音頭・踊り」より少し遅れてこの地方に広まり、大正から昭和にかけての浪花節全盛時代に、多くの人たちによってそれが音頭にアレンジされ、現在のスタイルに出来上がるに至ったことを解説した。
「かわさき」、「甚句」についても私の持ちうる限りの資料及び知識を持って紹介した。
そして、その流れに合流させた私自身を紹介することで、この文化をより身近に感じていただければ、と思っているのである。
その私であるが、田中芳松氏に「かわさき」を習い、山川正治氏に「しょんがい」を学び、酒井子雲こと道風茂氏に指南を仰ぎ、一応の完成を見た、というところまで来ている。具体的には1990年、平成2年ということになる。以前にも書いたが子雲師匠に頂いた、光秀、南部坂、恩讐の彼方の三つの演目により私の持ちネタも十分以上の数になり、以後10年以上軽い枕を除いて新作を手掛けることはなかった。その必要がなかったのである。
その萎えていた創作意欲をがぜん奮い立たせる出来事が発生した。
18年ぶりの阪神タイガース・リーグ優勝である。