中南勢音頭通信 南勢地区2 続・会式(えしき) | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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中南勢地域における音頭・踊りの紹介をベースに
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ここで,ひとつお断り。前回、会式について、820日から27日までびっしりと、という報告をしたが、実はこの期間、私にとっては、まさに、一年で一番忙しいとき、秋の取入れ、そう、田んぼの稲刈りの真っ最中なのですよ。これらの地区を頻繁に訪れることができるようになったのは、正式に音頭の依頼を受けるようになってからのこと。

 

 

 

翌年、自分にとってのシーズンを終え、10月の第一土曜日、目指すは湯田、上地、粟野町。

 

まずは湯田。音頭師の姿がない。延々と続くレコード踊り。聴けば、レコード踊りだけだという。

 

上地に向かう。そこで見つけたのが、娘たちの豪華衣装。屋台の上には、二人の音頭師、坂本の西山、山口の両氏。ところが、ここもやはり、レコード踊りが終わらない。「なんや、これ」。粟野へ向かう。ここもまた見事な衣装比べ。しかしやはり、レコード踊り。その日のプログラムが貼ってあるのを見つけた。「うそじゃろ!」20の曲目が並んでいた。それを二回づつ踊るのである。まだ半分も行っていない。しばらくしてやっと半分、そして休憩タイム。あと10曲。一時間で終わるわけはない。

 

曲目の最後に「しょんがい」があるのを見つけてはいた。会場はお寺であり、その座敷に出口氏の姿はあった。「また来るか」。上地に戻った。レコード踊りは終わっていなかった。ここも同じ様相であった。踊りの時間帯というのはどこも同じで、710時くらいのものである。上地や粟野のスケジュールであれば、最後の「しょんがい」の持ち時間は、せいぜい40分であろう。あと一時間、はちょっと辛かった。「今日は帰るか」。湯田は帰り道。寄ってみた。ここもまだ続いていた。しばらくすると、かかったのは荻野目洋子、「ダンシング・ヒーロー」。私も好きな曲である。これを二回、大いに盛り上がっていた。最後にかかったのが「三重の唄」の「しょんがい音頭」、これを二回、山川氏の手打ちで無事お開きとなった。