中南勢音頭通信 乗合舩 2  田中芳松  | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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乗合舩

 

 

 

私の習ったかわさき音頭、四題の中で一番好きな演題である。師、田中芳松の演で紹介するが、少々、唄いの文句が違っている。師には、また、二人の師がいた。阿坂と美濃田の人だったそうであるが、私の師の面目にかけて言っておくが、絶対に倣ったことを崩してしまうような人ではない。師の師の段階ですでに崩れていたと考えられる。先に紹介した文句は、正規のものと考えてよい。

 

というのは、いま私の手元には「河崎音頭作品集」というべき小冊がある。道風国造氏宅よりいただいたものである。道風国造(1883955)。何度も出てくる名前であるが、やはり根っからの芸の虫であった。本場の「河崎音頭」を求めて、当時の山田から自宅に一座を招いたことがあったそうである。おそらくその折に写本したものであろう。「赤物ずくし」「廓将棋」「行列狐」「曙」「松風村雨」「桜便り」他、十三の作品の中に「くるわい」こと「車道新」、「乗合」こと「乗合舩」が載っている。上記の文句はこの写本のものである。

 

それともう一つ、10年以上前になるが、伊勢市の朝熊町から、河崎音頭の研究グループが訪ねてこられて、情報のやり取りをさせていただいたことがあったのであるが、この時いただいた文句もこの写本と全く同じものであった。

 

「くるわい」も同様、それ以上に崩れた部分がある。「寿」「おかげ」に比して、その崩れはずいぶん大きいのである。これはつまりそれらが作られた時代の新旧の差と考えられる。つまり「くるわい」「乗合」は最初に伝えた畳職人により植されたものであり(つまり古いのだ)、「寿」「おかげ」は「かわさき音頭」がこの地に根付いてから、地元の人によって作られたものであるということなのだ。その時代、文字の読み書きの出来る人ばかりではなかったであろう。口から耳、耳から口へと伝わっていったはずである。どうしてもどこかでは・・・・である。