気持ちよく貸していただいた。又貸し禁止、の約束も十分に守れた。自分では。しかし、あれほどの芸である、様々な人たちがコピーして演っていた。このあたりのことは、「しょんがいの巻 山川正治」で述べた。
これが1981年の「千代の富士」となるのであるが、歩を進める前に、ここまでの期間の、手持ちの資料の主だったところを紹介しておこうと思う。以下、大泉、北出、中辻、笠原、各氏。同じ舞台を務めた先輩諸氏である。まずは、「吉原百人切り」の前編を大泉幸平氏、後篇をブログ主で編集してみた。(私のものは後年のものであるが)私のものは大泉氏に頂いたものである。文句も紹介しておく。
<iframe
width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/bBqwsSKTAwM
" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
後編
仲の郭は卍屋に切り込みました次郎在衛門奥の一間に寝ていたる 重兵衛夫婦を切り殺し 声でも立てるものあらば どいつこいつの容赦なく片っ端から切り殺し さすが佐野屋も半狂乱
血刀片手によろよろと 血走る眼でかなたを見れば 庭を隔てた裏二階 回り廊下の通い道 一見離れた四畳半 行灯の火影でぼんやりと障子に映るは人の影 アレは確かに八ツ橋と 逃しはせじと次郎在衛門 さあと斬りこむ刃の下
八ツ橋太夫とおもいきや 八ツ橋ならで遠山太夫 今宵とまりのお客さんに声たてさせちゃなるまいと頭から布団かぶせてしっかりおさえ 鼈甲ラオの長煙管タバコの煙を輪に吹いて 変わり果てたる佐野屋の姿
恐れもせずにうちみやり にっこり笑った愛嬌は女にまれな度胸のよさ お気の毒なは大尽さま 何ぼ稼業というては見てもあんまりひどい騙し方 影でわちきも泣いていた 決して止めはせぬけれど 罪ない人まで殺したなれば 心狂るうた刃傷沙汰と
かえって世間の笑いもの 気をばしっかと落ち着けて 目指す仇は逃がさぬよう しっかりしとめてくださんせ 今宵とまりのお客さんに出した残りの燗冷ましじゃけど
心静めにさあひとつと茶碗に注いだ燗冷ましを無言で受ける次郎在衛門 重ねて注いだ二杯目を一口飲んで下におき ぴったりたたみに手をついて 忘れはせぬぞ遠山よ
いまのそなたの真実の十分の一の真心が
あの八ツ橋にあったならこんなすがたにゃ
なりゃしょまい いずれお礼は先の世と
とどめもないぞよひざの上 うれし涙の男泣き 涙ながらに次郎在衛門 せめて心のお礼だけ 紙とすずりを貸しとくれ やがて持ち出す紙すずり この世の縁も薄墨で
冥土に急ぐはしりがき 遠山太夫に向き直り 国の野州は犬伏にわしの弟が居るほどに この書置きを渡しておくれ 差し出された遠山が一目ながめて驚いた そりゃ驚くも無理はない 国の弟に宛てました次郎在衛門の遺言は 今わの際の茶碗酒 金や宝じゃ代えられぬ 遠山太夫を身請けして
好いた男と夫婦にもして せめて佐野屋の暖簾分けでもしてやっとくれと書いてある
もののお礼にゃいろいろあるけど冷酒二杯のお返しにはこいつはあんまりぼろすぎる
驚く遠山ちらりとながめこうしちゃいられぬ次郎在衛門 おせわになった遠山よ
いずれお礼はあの世でと 血刀片手におくの一間に斬り込んで行く 五町郭に時ならぬ地の雨降らす百人斬りのおそまつもこれにとどめるしだいなり