長々と、しょんがい音頭についてのべてきたけれども、どうやら自分との合流に成功したみたい。これから先は自分の口と言葉で進めることができるでしょう。で最後に、お世話になった山川さんに関してもうひとつ。
若き日の彼にとって、最大の、そして唯一の、といえるライバルがいた。伊藤安太郎(松名瀬町 1910~1946)終戦を待つことなく、昭和19年に36歳でこの世を去っている。肺の病だったと聞いた。私の知る由もない人であるが、知る人に聞くと口をそろえて言う、「上手かった」。
私の親方(私には師が三人、親方が三人いた)のひとり、笠原乙松(東黒部町 1913~1990)氏の話、
「伊藤と山川、一度勝負をしたことがあって、その時は伊藤の勝やった」。
音頭での勝負とは。つまり、その場でのお客さんの受けの度合いが高かったということである。前にも述べたように、当時の田舎では、踊りはほとんど唯一と言っていい娯楽であり、お祭りであったのだ。音頭取りは花形、スター、アイドルであった。人気のある音頭取りの後ろには、女たちが列をなしていたという。 で、
「伊藤安太郎」、男っぷりがよく、美男であり、美声であった、という。
美声とは、「好事苑」によれば,
【美声】 女心を揺さぶり、締め付け、ときめかせ、子宮を疼かせる男声のこと、女声には使わない、
とある。
私は決して美声ではない。そして断じてイケメンではない。人間とは面白いものだ、 と思う
何が幸いするかわからない のだから。
しかしながらも である。女性からのご褒美は、男にとって、特に芸の世界にたむろする男たちにとってはなおさら、やはり、最高の勲章であろう、 と思う。 私とて一応その世界に身を置くひとりである。
一度ぐらい受賞してみたい、 ものだ, と思う。
わるいか