中南勢音頭通信 (しょんがいの巻)15 伊藤安太郎  | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

中南勢地域における音頭・踊りの紹介をベースに
自由以上に思い切った発言を発信していくつもりのブログ

長々と、しょんがい音頭についてのべてきたけれども、どうやら自分との合流に成功したみたい。これから先は自分の口と言葉で進めることができるでしょう。で最後に、お世話になった山川さんに関してもうひとつ。
 

 

若き日の彼にとって、最大の、そして唯一の、といえるライバルがいた。伊藤安太郎(松名瀬町 19101946)終戦を待つことなく、昭和19年に36歳でこの世を去っている。肺の病だったと聞いた。私の知る由もない人であるが、知る人に聞くと口をそろえて言う、「上手かった」。
 

 

私の親方(私には師が三人、親方が三人いた)のひとり、笠原乙松(東黒部町 19131990)氏の話、

 

「伊藤と山川、一度勝負をしたことがあって、その時は伊藤の勝やった」。

 

音頭での勝負とは。つまり、その場でのお客さんの受けの度合いが高かったということである。前にも述べたように、当時の田舎では、踊りはほとんど唯一と言っていい娯楽であり、お祭りであったのだ。音頭取りは花形、スター、アイドルであった。人気のある音頭取りの後ろには、女たちが列をなしていたという。   で、 
 

 

「伊藤安太郎」、男っぷりがよく、美男であり、美声であった、という。

美声とは、「好事苑」によれば,
 

 

【美声】 女心を揺さぶり、締め付け、ときめかせ、子宮を疼かせる男声のこと、女声には使わない、
 

 

とある。
 

 

私は決して美声ではない。そして断じてイケメンではない。人間とは面白いものだ、  と思う
 

 

何が幸いするかわからない のだから。
 

 


 

 

 

しかしながらも である。女性からのご褒美は、男にとって、特に芸の世界にたむろする男たちにとってはなおさら、やはり、最高の勲章であろう、  と思う。  私とて一応その世界に身を置くひとりである。
 

 

一度ぐらい受賞してみたい、 ものだ, と思う。

 





     わるいか