引き続き福島県浪江町にてのんびり老犬保護シェルターのボランティアやってます。

お散歩、お掃除、餌やり、など色々やることはありますが午後は夕方のお散歩まで自由時間がたっぷりあるのでお出かけしました。

「東日本大震災・原子力災害伝承館」は浪江町のお隣の双葉町の津波で大きな被害を受け、更地になった場所にありました。

入場料は600円‼️

入ってすぐスタッフの方にシアターに導かれ、最初に短い映像をみることになります。

まあ、この町には何度も訪れているから、当事者ではなくても2011年3月11日にここで何が起こったかはだいたい把握しているつもりではおりましたが、初っ端からもう涙が。。。

だってこのたった5分間のすごい映像のナレーションをしているのは、

去年の10月に亡くなった西田敏行さんだったのです。

テレビで聞き慣れていた彼の穏やかな、福島弁での語りです。

しかも最後は:

「復興は、残念ながら、まだまだ道半ば。光もあれば影もあります。発電所の廃炉作業はまだまだ続いて、私が生きてるうちに見届けられっかどうか。無理かもしれねえな。震災のこと、事故のこと、復興のこと、これからの未来のこと。この場所でみなさんと一緒に考えることができたら。そう思っています」

で締めくくられていました。

思わず胸が熱くなってしまいました。

シアターから館内の展示までの廊下には原発に関する情報が時系列で写真とともに並んでいました。

東京電力福島第一原発1号機は1967年に建設工事に着手し、1971年に完成し営業運転を開始しました。

その後も2号機、3号機、4号機と続けて完成し、

2011年3月11日まで何事もなく安全に稼働していたんですね。

地元の皆さんは子供の頃から何度も施設を見学して、原発ができた事によって雇用が増えて出稼ぎに行く必要もなくなり人々の生活は豊かになる、夢のような40年間に及ぶ「原子力発電生活」を送っていたはずでした。

そして震災が起こってからの津波やそれに伴う原発の水素爆発、その後の気の遠くなるような復興の流れがあり、



5年前の2020年9月この伝承館が開館したことでこのコーナーは終わっていました。


震災前の各主要都市の人口です。

原発が作り出した電力は全て関東に送られていたので東京電力さんに取って福島県は大切な地主さんです。

町のイベントには積極的に参加していたでしょう。

地震による死者と行方不明者の合計よりその後の関連死者数の方がはるかに多いのです。

地震でも津波でも生きていられたのにその後の避難生活でのストレスや病気などで命を落とされた方々の数なのです。

津波でコンクリートの基礎ごと流された郵便ポスト。

日本全国から送られてきた支援物資の数々です。

沖縄県からということで琉球銀行の名前入りで「マブヤー」のイラスト入り箱ティッシュもあってびっくり‼️

沖縄の人しかわかりませんよね💦


そして最後の方には高濃度の放射能を浴びた家や土地の除染方法などの説明です。

汚染土壌やその他の汚染廃棄物はフレコンバッグと呼ばれる黒い袋に詰められて、初めて浪江町に来た2019年頃には浪江町や近隣の町村の至る所に大量に集められていました。

今はあまり見なくなっていて、いったいどこに行ったのかと思ったら、中間貯蔵施設というところで原発のある大熊町と双葉町にまたがる東京ドーム340倍の面積の場所に集められ、今も貯蔵されているのです。

それらは2045年3月までに福島県外で最終処分を完了すると「お約束」されているらしいですが、果たして引き受けてくれる県はあるのでしょうか?

沖縄に集中している米軍基地のお話に似ていますね。

あなたも私も要らないものって、やっぱり他の誰も要らないということですよ。

そして伝承館にはたくさんの被災体験を語り継ぐ「語り部」さんがいらっしゃり、館内のワークショップにて40分ほどの講和が聞けます。

この日私達にお話して下さったのは南相馬市在住の方でした。

これがまた涙無しには聞けない、素晴らしいお話でした。

東日本大震災は確かに未曾有の災害ではあったけど、海岸沿いでなければ津波の被害もなく、家そのものも住めないくらいの被害はなかった、、、なのに原発の水素爆発のせいで大した説明もなく期限も告げられずただただ遠くに避難させられる、なんと理不尽な!と皆さん思った事でしょう。

沖縄に居て、ただテレビのニュースで見る事しかできなかった当時の信じられない出来事が親しみやすいおばさんの口から語られました。

決して彼女だけが辛い避難生活を送ったわけではなく、この町の人々全員の生活が一変したのです。

その辺のスーパーで会った人々も皆さん多かれ少なかれ苦しかった過去を乗り越えていらっしゃるんだと思うとなんだか申し訳なくなってしまいました。

最後に伝承館の外に展示されていた消防車です。

震災の日に津波襲来の呼びかけをしていて、後に津波のためにここまで変形したのです。

幸い乗っていた消防団員は無事だったそうです。

地震と津波は天災であり避けることは難しいですが、原発はどうでしょう❓

これからの未来は過去から学んだ先にあると思いたいですね。

人は希望が無いと生きていけませんから。