震災前というか原発事故前の浪江町の人口は2万5千人ほどのかなり大きな町だったそうです。
事故から8年たった現在の人口はおよそ400人ほどだと聞きました。
そのうちの半数以上は役場などで働く町の職員と原発関係の作業をする人たちで、純粋に町に戻って来た人はとっても少ないのです。
一見普通のお宅に見えますが、左端のサッシが割られて、空き巣が入ったあとがあります。
よく見るとほとんどのお宅にガラスを割られたあとがあるのがわかりました。
こんな風に元々家が建っていたところが更地になってる場所が多いです。
多少地震の被害はあっても住めないほどではなく、津波にのまれたわけでもなく、原発事故さえなければずっと住み続けられたであろう家が解体されるなんて、本当につらいことでしょうね。
きれいなお宅なのでリフォーム中と思ったら解体中でした。
解体するにはもったいないお家もいっぱいあるのですが、もう8年も避難生活しているうちに別のところに家を買ったり建てたりする人がほとんどだそうです。
聞くところによると、他の市町村に家を建てる場合は補助金が出ますが、同じ場所に建て直す場合は出ないのだそうです。
ですが申請すれば無料で解体してくれるらしいです。
町には「浪江町にお帰りなさい‼」の垂れ幕が翻っているけれど、本当に戻ってきてほしいのか疑問です。
子供のいる家庭ではまだまだ放射能汚染が心配ですし、病院のない町ではお年寄りも不安です。
第一スーパーさえないのですから。
現在あるのは夜8時まで開いてるコンビニが2件とお昼だけ開いている飲食店が数件あるのみです。
先日お風呂の帰りに夜の町をドライブしたら、異様な雰囲気でした。
家はたくさんあるのに、電気がついてるのはアパートのところどころと信号のみです。
そういうアパートは家賃の要らない役場の職員か、東電が借り上げて除染従業員らが住んでいるのです。
復興より大事なのはなんとか議員だ‼と言って辞任したバカオヤジがいたけれど、浪江町はまさに復興から取り残されている町なように私には思えました。
ここは赤間さんの第二シェルターがある場所です。
このお宅は以前赤間さんのご両親が住んでいた家だそうですが、今はイノシシが自由に出入りしていて、家の中の家具などすべて外に出してしまったそうです。
信じられない風景ですね。
イノシシ達は人が居なくなって8年も経った町なかでやりたい放題、子や孫の世代まで町で産まれているので、山にはもう戻らないのです。
犬まで襲うというので驚きですね。
週末に役場隣の復興マルシェのイベントで無料似顔絵コーナーがあったので、さっそく書いていただきました。
似てるかな⁉️
翌日の朝、似顔絵の絵描きさんが道の駅南相馬に軽自動車でお泊まりでした。
ピエロのいでたちでしたので気がつかなかったのですが、神奈川県藤沢市からいらっしゃった「ふくしま再生の会」の会員さんだということです。
上手に書いていただいたので、島ぞうりをプレゼントしました。
すごく喜んでもらったので私も嬉しくなりました。
世の中にはいろいろなボランティアがあるのですね。
自分たちの能力以上のことは出来ないし、頑張ろうとも思っていない、ゆるゆるの人生をおくっている私達ですが、人との出会いは宝物ですね。