底が知れる | 銀輪流転

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ウクライナ情勢を巡って言論人の値打ちが知れる。

逃走論のA氏は、
「ウクライナ国民に戦って死ねとは言えない。逃げて」
との言説。

 流石、逃走論の著者か。
国家のために生命を捧げることを強制される国家体制は嫌だけど、、
亡国の淵に立った時に私の取るべき行動はいかに。
そのような真摯な問いが欠如していると思う。

しかし、A氏の信条とは矛盾はないようにも思う。


維新で名を鳴らしたH氏。
 ウクライナ降伏論で耳目を集める。
 「国民を犠牲にしてまで守るものか、、」
 「今頃、中立を受け入れるのであれば、そもそも、、」
とか。

 従前のH氏の口からは、むしろ個人が国のためにどう貢献するか
そのような言説をよく耳にした。
 市政運営にあたっては、権威主義的であったと思う。

 それが、このような言説。
どうしたことなのだろう?
 非常に表面的な感想レベルの言説で耳を疑う、一方、
やっぱり、この程度の方だったのかと納得する面もある。

 自分の意見と一致するかどうかではなく、
その言説の論理の破綻、思慮の浅さに失望するのであった。