少し前に「ギリシャ人の物語Ⅱ」 塩野七生 を読んだ。
ペロポネソス戦争 の顛末であり、如何にしてアテネが崩壊したか。
衆愚政治 デマゴーク といった世界史の用語で、何が起こったのかということ。
そこで、
大正デモクラシー がいかにして崩壊していったのか知りたくなった。
読み終えて直ぐに、
森友の運搬費の水増し助言
加計の面会記録の存在
の騒動に。
そしたら、今度は、財務省のセクハラ問題。
本書
第3章 若槻内閣と劇場政治の開始
を彷彿とさせる事態であった。
考えることが多く、ワイドショーを見る傍ら、ぜひ、一読をお勧めします。
詳しくは、本書を読んでもらってになるが、
政治家を巡るスキャンダル と それをマスコミ報道を利用して、政局化。
普通選挙制度により、大衆票が物を言うようになった帰結。
その繰り返しに、政党が信頼を失っていく過程。
マスコミの報道もどうしたものだろう。
森友 で言えば、
文書があったかどうかが問題の本質ではない。
また、首相が知っていたかどうかも本質ではない。
国有財産の払下げに当たって、
背任と言えるような行動 があったのではないかが問題である。
また、それが指示があったかどうかに関わらず、
官僚が主導したということである。
官僚にそのような行動をとらせた動機は何か、
それを励起する制度的欠陥
があるのではないか?
そこに、問題を感じるのである。
加計 で言えば、
文書の存在の有無や、忖度があったかどうかが本質ではない。
平然と首相が、虚偽としか思えない答弁を繰り返し、
それが、「ていねいな対応に努める」と繰り返し述べる人の本質であることなのだろう。
どうせ、
黙っていりゃ、そのうち馬鹿な国民は忘れるのだから、
その場を何とか取り繕って、乗り切ればよいのだ。
ということが問題なのだ。
首相自ら、率先して範を示し、
それを、状況把握能力に長けた(気を見るのに敏な)優秀な官僚が倣ったというところか。
忘れてはいけないのは、
前回の国政選挙で現政権の多数の者が票を入れたことである。
その時は、森友、加計 問題は周知のことであった。
国民自らが、自ら騙されることを望んだのであろう。