一生のうち、心臓は、20億回しか拍動できないという事実をどう受け止めるかです。
長生きしたければ、徒に心拍数を上げることは避けるが、お利口さんになります。
そこで、ふと、思うわけです。
これって、生きることと同じなんだ。「何言ってるの爺さん?」と声が聞こえてきますが、、。
つまり、生きることは、死ぬまでの持ち時間を如何様に使うかということであると思いいたるわけです。
或いは、「生命は、燃焼することと」把握している私の生命観とつながるわけです。
そこで、その行為のもたらす快楽と費用(リスク)を天秤にかけることになります。
私の場合、運動に伴うリスクは、まだ比較的低いのと、
自転車に乗ることで得られる快楽は、かなり大きいといことで、
当面、心臓問題を留意事項して自転車は続けることが合理的な選択という結論になります。
あとは、心臓のリスクを如何に管理しているかという課題があります。
ここからは、単なる雑感です。
(1)速度と心拍
運動量は少なくとも、速度が上がっていけば、心拍数が上がっていきます。
それは、人間の本来の活動域を超えた速度になるのだろうと思います。
(30/時が目安になるかなあ、、。)
交感神経が、優位になって、心拍が上がる訳ですが、
人間の体の時間(速度) < 物理的時間(速度) を調整するために
心拍数を上げているとも理解でます。
つまり、凝縮された時間を生きるために、体が加速した状態ですね。
(2)上室性頻脈
私の不整脈は、期外収縮と上室性頻脈が観察されています。
問題になる可能性があるのは、後者です。
車のエンジンでいうと、吸気系のバルブタイミングが
時々、くるってしまうとういうことです。
上室(心房)の拍動異常が、心室に伝わらなければ、まあ大丈夫なようです。
心室に伝わると、心室細動を引き起こすリスクが高まってしまいます。
心室細動は、左心室が細かく痙攣をおこしている状態です。
左心室が十分に収縮できない状態になるので、動脈に血液が供給できなくなります。
つまり、血流が止まるわけです。
エンジンだと、ピストンが上死点と下死点の間の行程をたどらず、
それより、短い行程で細かく上下する状況です。
当然、圧縮・排気ができませんから、出力できません。そういう状態です。
(3)心肺トレーニング
私の場合、心肺トレーニングは放棄したほうが良さそうです。
やはり、心拍数を必要以上に上げると、指令が狂うようです。
エンジンの回転数を上げていって、バルブタイミングの制御が追いつかない状況です。
心肺トレーニングには、最高心拍数を高くするは、誤りのようです。
無理な回転数維持は、意味がないようです。
問題は、低い心拍数で、いかに有効な仕事量を確保できるかが重要です。
といことで、中位の心拍数を維持し、そこで有効に働くよう身体を慣らしていくが正しいようです。
但し、いわゆるスポーツ心臓であれ、心臓肥大の状況であるには違いはないので、
その場合、通常の心臓より、心臓病のリスクは高くなるようです。
といより、どこまでが、スポーツ心臓か症状としての心肥大か区別することは、困難ということみたいです。