飲酒運転が社会問題となっている。報道がない日がないくらいである。今日のワンコじゃなくて、今日の飲酒運転って具合です。
「どうして飲酒運転は無くならないのでしょうか。判りきったことで、憤りを覚えます。あきれ返ります。」とTVで、某氏がコメントしていました。
私なりに思うに、酒飲んでるから、飲酒運転するんです。酒呑まなければ、飲酒運転じゃないから、何じゃそれ! と突っ込みが入りそうですね。
そうなんですが、酒呑んで、正常な判断が出来ないくらい酔ってるから自動車に乗るんですよ。と言うとどうでしょう。
そんな無責任なことで、人の命を奪い兼ねる行為を正当化するのか!! 繰り返し飲酒運転をする者は、故意としか思えない!!と反論が出ることでしょう。全くそのとおりです。
さて、お酒の席での失態。ある程度、大目に見られますよね。
「今朝、目が覚めたら、映画館の前。まいったよ、、。」
「馬鹿だなあ! (笑い) 風邪ひいてない?」
あるいは、
「俺さ、飲んだ勢いで、部長の胸ぐら掴んじゃったよ。ちょっと呑みすぎでさ、、。」
「ちょっと不味かったかなあ、、。でも殴ってないし。」
「お前が止めてくれたからね。ありがとう。殴っちゃたら、洒落にならんもんね。」
「まあ、お前の気持ちも判るし。それに、影で拍手している奴多いぜ。」
また、
「あの人は酒癖が悪いからね。呑まなきゃ大人しい良い人なのに。酒が悪いから、仕方ないねえ、、。」
で、
「飲酒運転は悪いとは、判っているんだけど、酒呑んじゃうとさ、つい気が大きくなるし、、。」
おい、おい、、。
日本は、酒に対して、寛容な文化的風土にあります。酒の席は無礼講。酒の席でないと、本音の話しはできないとも。酔わないで、酒呑む意味ないだろう、、。
しかし、です。最初は、仕方ないとして、酒の席で繰り返し失敗をするのは、最早、故意なのです。酒を呑むと、自分が不味いことをする癖があることを知っていて呑むのですから、故意です。
酒を呑んでも、そこには、ある一定の越えてはいけない線があると思うのです。その辺りをもう一度、議論して行く必要があるかもしれません。
酒に対して、自分が無力であることを自覚して、お酒を断つという解決策をとる社会勢力があります。いわゆる断酒会です。
彼らは、酒に人生を狂わせられた経験を持ち、それから逃れるには、酒と縁を切るしかないと判断している訳です。
それは、極端にしても、お酒との付き合い方、再考してみてはどうでしょう。
私?もちろん、酒呑んだら、自動車乗りませんよ。だって、コナー攻められんでしょう。(笑い
問題は、自転車。自転車での飲酒運転も取り締まられるようです。
呑んで、スタンディングできないくらいになったら、押すことにします。