今日、夜に母と会話した。


最近よく頑張ってるよって話。

実家に帰ってきた頃はお客さんだったけど

(これはずっと言われる泣き笑い事実だから変えられない)



その頃に比べたらずっとよくやってる。

成長したよって。







それを、

受け取ってみた。





確かにそうかもしれない。


皿洗いと米研ぎは、ほぼ毎日だし

洗濯物干すのは、やってもらってることもあるからたまにだけど苦じゃないし、

畳むのも自然と手が動くようになった。



それに、これまでは夜の0時とか1時くらいに

ぶつくさ言いながら皿洗いをしてたのに

(米粒ちゃんと食べろや!クソが!とか笑

言って洗い流してスッキリしてた泣き笑い)



最近は食べ終わってすぐ洗うことが増えたし、

遅くなっても、そんなに時間がかからないことがわかってきたし、

その日のうちに寝られるようになった。





ただ、料理は......悲しい悲しい悲しいガーン


と思ったけど、、、





成長したよ、を受け取って見直してみる。





前より作ってる。

今日の餃子は成形済みのをただ焼くだけだったけど、

すでに買ってくれて冷蔵庫に入っていたのを使っただけだけど、、





それでも、自分でやるようになってる。


チャーハンとか、中華丼とか、

普段作れるのは一品で完結するものばかりだけど。



これ作りたい!と思って挑戦するのは一度きりで

続かないこともあるけれど。



できることは、

やってみようと動くことは、増えてる。







もしかして、

自分が料理はダメだダメだと認識しているのって、




私の、料理に対するハードルが高すぎるのかもしれない。




自分のできていることを認識するより、


これまで作ってもらってきた母や、料理屋さんの

食事をスタンダードとして、

あと理想の家庭料理、みたいなイメージと比較して、ダメな部分をフォーカスしているのかもしれない。





食事は一品ではダメ。

何品も並んでいなくてはダメ。

毎日スッと作れなくてはダメ。

同じ料理ばかりではダメ。



そんな、ダメダメのハードルが、

私には、あるよ。



主婦(主夫)の皆さんと同じように、

やるのが当たり前、日々こなして乗り越えていく、の世界にはなってないしなぁ...

(私は父母に甘えているし...真顔悲しい)



みたいな卑屈さが

存在してもいるよ。





でも、


実際どうだかわかんないじゃん。

全ての主婦が毎日、腕によりをかけて

手料理を振る舞っている訳ではないじゃん!!



料理好きな人も嫌いな人もいるよ。

惣菜毎日な人もいるかもだし、

需要があるから冷食とか惣菜とかUberとかレストランが存在している訳で。




そうだよな。

手料理を作れなきゃって、

ハードルが高すぎたのかもしれない。



餃子は私のがんばりを知っている🥟



ほんとは自分の手料理で

安心して食べれたら毎日が幸せルンルン

って

そう願っているだけかもしんない。



作りたいって欲求があるだけかもしれない。