シフトについてのアレコレ | 花依姫の徒然草

花依姫の徒然草

神話の「花依姫」のように文化、自然科学、教育、心理などに関心があります。

日々の徒然なる想いを綴っています。

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2016年2月26日について天下泰平さんが書かれてますが振り返ってみればこの日、

恥と自己批判

の講座を受けまして、長年、苦しめられた訳のわからないところからくる罪悪感や、宿便のようにたまっていた自己批判を一掃しました。


昨年、夏に南アフリカの花園に行き、本来の自分を一気に思い出して一度は消えたこれら。


ところが、娑婆で暮らしていると

「まだあるで!!」とばかりに浮き上がってきて、私を色々制限し、解決させるため辛い出来事を引き寄せました。


でも、内側からの導きで全てはベストなタイミングで浄化が完了しました。


簡単にいうと、おせんべい。

花園が表を焼いたんだったら、

今回は裏を焼いた感じです。


まさに、闇と向き合いました。


そして、8日たった今言えるのは、


闇の時代も闇そのものも愛おしいと

思えるという事です。


手放し、浄化するというのは、消し去り

光の世界だけを残すのではなく、闇を受け入れるための過程なのでしょうね。


私は30年くらい前に自己啓発セミナーを受けた事があります。それは、今から思えば、


ブロックを外し、一気にシフトを起こすものでした。


自分が自由になり、パワーにみなぎるような感じがしました。


でも、あれで抜けていたのはこれ。


闇を自然と受け入れる部分が抜けていたように思います。


シフトする事は素晴らしいです。


でも、

そこに至るまでの過程も、

壁というお役目を果たすために出会った嫌な思いをさせた人も、

イケてなかった自分も、


心底愛おしいと思えた時


本当に呪縛から解き放たれるのです。


そして、真の思いやりが生まれると思います。


シフトだけに目を向けていると、

闇が追いかけてくることが怖くなり


光だけを求めるようになるのです。


常にあのシフトした恍惚の瞬間を求めたくなる。


それは、麻薬に似ています。


そして、どんなに不器用だったかもしれませんが、親を否定したり、


セミナーを受けていない人よりも上にたった気がして、


言葉や態度に思いやりが失われていく。


もちろん、それも、経験であり、誰もが通る道かもしれませんが


この世は体験するために生まれてきたのだとしたら、まあ、なんでもありで、


見下しても、見下されても、全部良いんですが、


それも、本当はみんな繋がっていて


上も下もないんですよね。


だから、シフトすると、どんどん自分大切にできるんですが、


人も自分だと分かれば、


人も大切にできるんです。


日本人お得意のおもてなしも、


謙虚さも、


実は究極は自分を大切にしているのと同じなのかもしれない。


で、私が謙虚になったのか、

思いやり溢れているかと言え


まだまだなんですけどね。



昔の自分や、私に関わってくれた人全てに

頭が下がる思いなのは本当です。


私の事が好きな人も

私の事が嫌いな人も

出会った事もなくって

私の事がどうでもよくっても


本当にありがとう


私にいろんな経験をさせてくれてありがとう。



この地球上で同じ時間を

共有している全ての人は


同じクラスの仲間みたいなもん、いや親族みたいなもんですもんね。


兄弟ゲンカぐらいは可愛いですが、

相手の存在否定するのって、結局

自分を思いっきり否定しちゃう事になるし


もう、そろそろ、戦争も手放して、仲良くしても良いんじゃないかって、


なんて思う今日この頃なのです。


徒然なるまま、書いてみましたが


どなたかの役に立ちますように。