演奏家はチャネラーのようなもの

と書きました。


今日ふとゲルギエフの話になって

Youtbeで彼の指揮する「火の鳥」

ウィーンフィルで聴きました。

このウィーンデビューは衝撃的だった

とロマーノさんが興奮して語ります。

ロシアから来たなんだか

汚いというか汗臭そうな若い指揮者。

ヨーロッパのクラシック界には

ちょっとそぐわなさそうな風貌。

でもひとたび指揮台に立って

一流のオーケストラから引き出す音は

まさにロシアの魂に満ちていました。


譜面に書かれた音は常にそれです。

同じ楽器で同じ音を演奏しています。

でも

小澤征爾氏が紡ぎ出す音は

小澤征爾氏の色があり

バーンスタイン氏が振れば

また違う世界に連れていかれます。


このゲルギエフの「火の鳥」

ひとり静かな場所で集中して

彼の音楽を全身で味わって欲しい。


どんな「火の鳥」が見えましたか?


私には

ゲルギエフがストラヴィンスキーと

魂のレベルで繋がっていて

こんな音が欲しいというイメージを

全身全霊込めてオーケストラに伝えて

オーケストラが理解して応えている

そんな風に思えてならないのです。

まさにチャネリング。


一流の指揮者たちは

ほとんど楽譜をみていません。

小澤、メータ、アバド、バーンスタイン

彼らは曲を理解し尽くしていて

本番ではトランス状態ですよね。

欲しい音が既にイメージできていて

オーケストラと目で会話してる。


楽譜を見ながら指揮する人は

ガイドブックを読みながら引率する

ツアーガイドのようなもの。

楽譜を見ながら歌う人は

台本を手に芝居する役者のよう。

伴奏ピアノや

緻密なアンサンブル、

オーケストラや合唱のように

大勢が正確な演奏を求められる時は

もちろん楽譜が必要です。

でも

演奏を通して何かを伝える演奏家

指揮者やソリストは

演奏しようとしている音楽を

まずは自分が理解して

それを聴く人に伝えることが使命。

私はこんな風に考えるので

楽譜を見ながらの演奏に出逢うと

少なからず残念に思います。


ゲルギエフの話から

少し脱線してしまいました。


ロシア/ウクライナの戦争が始まって

ゲルギエフはロシアに閉じ籠り

私たちは彼の演奏を聴くことが

一切できなくなってしまいました。


家族をなくした人がいます

住まいをなくした人がいます

仕事をなくした人がいます

多くの人が大切なものを失いました。

多くの人を不幸にする戦争、

終結を心から願います。