父が、耳下腺癌で、

ステージ4と診断されてから約1年ほどは、


時々様子を見に行くぐらいで、

はなんとか一人で、


仕事もして、

抗がん剤の通院治療もして、

さほど、私が父と関わることがなく

時間が過ぎた。



だた、その間も日に日に腫瘍は大きくなり、



片側顔面麻痺で、

目がうまく閉じることができなかったり、

ヨダレが出たりと、


父なりに、闘病生活を送っていた。



父がホスピスのベッドで最後を迎える日の

3ヶ月前、



いよいよ、在宅生活が厳しくなってきた。



耳の下の、頚部にできた大きな腫瘍が、


皮膚を破り、出血が止まらなくなり始めた。



父の兄から、

「血が止まらんのに、

病院に行けって言ってもいかんから、

お前から病院に行くように言ってくれ。」

と連絡がきた。



とりあえず、病院に行くよう説得し、

叔父が病院へ連れて行ってくれた。



その後、叔父も大病をしており、

父のことでは頼りにしていたのに、

頼れる状況ではなくなってしまった。



そして、私が、主たるキーパーソンになった。



これは、何を意味するか、

自分が一番理解していた。



全てを背負うということだ。

この時は、まだ、背負うことの重大さが、

ほんの少し予感している程度だった。



3週間ほど、入院し、

「もう治療の領域ではないので、

 次の行き先を」と

病院側から連絡があり、



主治医からの説明を受けた。



「あと、もって2、3ヶ月ですと」

 告げられた。



涙が止まらない。


こんな、

ドラマのセリフみたいなことを


言われることが、


自分の現実に起こるのか・・・・。




その後、ソーシャルワーカーから、



「どうされますか?」




「娘さんが、最後までみてあげられますか?」


と、声をかけられた。




父看る=金銭面での厳しい現実を全て背負うということだということを


ソーシャルワーカーは知っていたからだ。



「はい。私がみます。」



 父の子供は私しかいない。

 きっとこの先も、

 涙を流すことが多いだろう。


 でも、私しかいない。


 不安しかなかったが、


 そう返事をした。





この日から、父と私の最後の時間・・・

あと、40日。





これは、私が、ホスピス患者様のご家族の支援をしたいと思うきっかけになったお話しです。




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