今日もご訪問ありがとうございます。
萩と津和野を訪問した際の記録の続きです。
津和野は山城がある美しい城下町。山陰の小京都とも呼ばれています。
萩と津和野では、私の印象では、街のカラーはだいぶ違っており、おそらく津和野の方が多少おおらかというかのんびりしているかもしれません。
そこが良いです。
津和野に向かう途中、萩市郊外の自然の驚異、須佐湾のホルンフェルス地層が見られるところにも足を延ばしました。
頁岩の互層がホルンフェルン化し、黒色と淡灰色の層が見られる断崖ということです。
近くまで行くと、かなりの迫力で足がすくみました。
さて、津和野へ一路車を走らせます。
宿は和風の雰囲気のあるところです。
翌朝、早く起きて中心地を散歩。
商店街で使用されているスタンプはつわぶきのマーク。
やがて お堀に沿って津和野カトリック教会が。 乙女峠まつりの垂れ幕がかかっています。
津和野カトリック教会
島根県鹿足郡 津和野町 後田口66-7
ウェブサイト (乙女峠について詳しく記載されています)
http://www.sun-net.jp/~otome/default.html
(珍しく、教会堂の中は畳敷きです。写真は撮れませんでした)
津和野では、ちょうど毎年5月3日に行われている 「 乙女峠まつり 」 に遭遇することができました。
この日を狙ってきたのではないのですが、本当に偶然のことで、驚くとともにありがたかったです。
日本各地からの宣教団もこの日に合わせて津和野に宿泊しているようで、どうりでホテルに空きが少なくて宿探しに難儀したわけです。
あとで文献を読んでわかったのですが、当時浦上のキリシタンが流罪になった先の土地の巡礼団(津和野含め約20か所)が中心になっているように 思われました
気づくと、山車で練り歩く準備が始まっていました。 マリア像の乗った山車をドレスにベール姿の女の子たちが担いで乙女峠まで運ぶのが見どころの一つ。 人がせわしく走り回っています。
こちらは鹿児島からの巡礼団ですね。
カメラを構えて写真を撮る人も多数!!
マリア像が通過する前に道に色とりどりの花弁を撒くのは小さな幼稚園児くらいのこれまた女の子たち、 保護者や警察官まで総動員で交通整理しつつ、様子を見守っています。
各地の聖職者はじめとする巡礼団がすごい人数で行列を作っています。 行列は約2キロ先の山のふもとにある乙女峠まで続きます。
柴犬も、十字架の縫い取りのされたベストを着て参列!
マリア像にきれいに花がかざられています。 4人の女子が肩で担ぎますが、結構な重労働。
このあと、峠へ向かう急な上り坂もあるので、、、
乙女峠祭りの由来について
1867年徳川幕府が終わり、 明治政府となりましたが、その後6年間をかけて、長崎(浦上)の信徒の指導者が津和野藩に送られ、浦上四番崩れとよばれ有名な弾圧にあい改宗をせまられました。 キリシタンのおよそ三千四百人が見知らぬ土地に流罪の刑を受けました。鹿児島、萩、名古屋等の二十か所が選ばれ、その中に津和野も加えられました。
1870年には125名(第二次流罪)などが加わり、津和野のキリシタンの人数は153名
(そのうち 迫害を受けて改宗した者 53名 信仰を守った者 63名 殉教者 37名 )
この殉教したキリシタンを偲ぶ「乙女峠まつり」が、毎年5月3日に行われ、全国各地から信者が集います。
乙女峠には明治初年まで光琳寺という寺があり、153名の長崎浦上のカトリック信者がこの寺に収容されました。
現在この場所にはドイツから日本に帰化した、パウロ・ネーベル(日本名 岡崎祐次郎)神父によって1951年に建築された乙女峠聖堂があります。
5月3日は津和野カトリック教会から約2キロ離れた乙女峠を目指して、聖母マリア像を先頭に巡礼の行列が10時半ごろ出発します。
正午より乙女峠にて荘厳な野外ミサが行われます。
次回は津和野の一般的な観光地についてお届けしたいと思います。
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