「キリスト教が真実なら、なぜこんなに多くの宗派があるの | ブブ部

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備忘録


私が最初にキリスト教徒になったとき、ロサンゼルスの街を運転していると、たくさんの教会が目に入りました。どの教会に行けばいいのか分からなかったのですが、南カリフォルニアには本当にいろいろなキリスト教の宗派がありました。キリスト教が真実なら、なぜこんなに多くの宗派があるのかと考えました。ひとつの場所に行けば済むはずではないのか、と。

多くの人が、この宗派の多様性や意見の違いが、キリスト教の真実性を否定するものだと考えるかもしれません。しかし、無神論者だった私でさえ、人間が何かの見解を持つとき、その見解についての多様な意見が出てくることは、むしろ人間の性質を示していると理解していました。人間が何かを信じると、その信念についてさまざまな見解が生まれるのです。

例えば、無神論にも強い無神論、弱い無神論、暗黙の無神論、論理的無神論など、多くの異なる見解があります。人間が何かを信じると、その見解は必ずいくつかのグループに分かれるのです。これは私たち人間の性質、つまりプライドや反抗心、全てを知っていると思い込む性質によるものです。

これは、アメリカが50州に分かれているからアメリカは真実ではないと言うようなものです。50の異なる見解があることは、アメリカという大きな存在の中で地元をどのように統治するかについての意見の違いを示しているに過ぎません。どんな主張でも、人々に時間を与えれば、必ず意見が分かれるのです。

たくさんのキリスト教の宗派があることは私には気になりません。それが人間のやり方だからです。

もう一つ考えてみてください。あなたは宇宙の存在を信じていますよね?私もそうです。しかし、宇宙がどのようにしてここにあるのか、どのようにして持続しているのか、そしてなぜそのように見えるのかについて、宇宙学者たちは激しく意見が分かれています。ビッグバン理論、循環宇宙論、マルチバース理論、量子理論など、宇宙の起源についての理論は数多くあります。

これらの理論に対する意見の違いは、宇宙の存在や科学者としての彼らの仕事の妥当性を無効にするのでしょうか?もちろんそんなことはありません。これは人間の性質なのです。私たちは、何かを真実として受け入れても、その解釈について意見が分かれるのです。

これはキリスト教を含むあらゆる世界観にも当てはまります。

最後にもう一つ考えてみてください。この異論がないことに驚くべき理由はないでしょう。むしろ、全ての人が長期間にわたって全ての詳細に同意しているとしたら、その方が驚くべきことです。それは何かがおかしいと疑うべきです。

私たち人間は、小さなことでも意見が分かれるものです。それが人間の性質であり、特に重要な問題に関してはなおさらです。なぜなら、プライドという私たち全員を繰り返し分裂させる醜いものが存在するからです。

最終的には、人々が異なる解釈をするという問題であり、その解釈をする人々の問題なのです。それが私たち人間の性質なのです。