前回の続きです。
1時間後シフトに入りましたが、その日は什器の洗浄や納品された商品を棚に並べる品出しが主でしたので助かりました。しかし、感情が不安定なせいか何度も作業を繰り返してしまい中々先に進まず終わるまで時間がかかりました。何をしていても「父ならどうしたかな?」などと考えてしまいその度に気持ちが沈んでしまいます。
29日火曜日に父が亡くなったことを母には話していないので母に話すのは妹が休みになる4日後の土曜になります。妹は忌引きで1週間休みを取ってくれましたので話した後も母の様子を見ることが出来ますから土曜日まで乗り切ればと思っていました。
現在、母と妹は一緒に暮らしていて妹が会社に行くと母は一人になってしまいます。1日誰とも話さないと認知症が進むので私が昼に1時間甘い物とお茶を持って行き話相手になるのが習慣になっています。何度も父の様子を聞かれては「病院で頑張っているよ」と答えるのが辛くて騙しているようでたまりませんでした。
いよいよ土曜日になり母に話すことになります。
「母さん、話がある」と言った後、父のことを説明しました。今日まで話さなかった理由についても納得してもらいました。そして火葬が2日後の4日月曜日だということも話して、そこから喪服の用意などバタバタと準備に入りました。話した時、母は悲しそうにしていましたが取り乱すこともなく冷静でしたので私たちの様子から何となく感じていたのかもしれません。
私の仕事の都合で通夜や葬儀に時間は避けませんから1日で全て終わるようにしました。葬儀はなし、祭壇を父の部屋に作るだけになりました。
私や妻の友人、妹の勤め先や友人からの花で祭壇が埋まりにぎやかになりました。私が加盟するFCからも花が届きましたが斎場ははどこだだのお線香を上げに行くならどこだだのと頻繁に連絡がありせわしくて話さなければよかったと思いました。
4日に滞りなく父の火葬が終わり遺骨を自宅に持ち帰り祭壇に置きようやく落ち着きました。その間、慌ただしくて悲しさに気持ちが持って行かれなくて済みました。
8月10日に郷里で私の中学の同窓会がありましたので帰省して地元のお寺で戒名を受け取り納骨の日時を決めました。納骨は初盆が過ぎお彼岸が終わる9月26日以降になります。そこで親戚などが集まり葬儀のような形になると思います。帰省して父の写真と父が生まれた場所、我が家のあった場所、父が仕事の休みに通っていたパチンコ店などを巡りました。祖父と祖母が眠っているお墓を掃除して花を手向け父が逝ったことを報告しました。
今頃、祖父と祖母と楽しく話してることと思います。
父の死を目の当たりにしてから自分の死も考えるようになりましたが、同窓会で45年ぶりに合った友人たちの老け具合に、時間だけは皆に平等なのだなと実感しました。そして、自分も順番で父のところに行くのだと心を落ち着かせることが出来たので同窓会に参加したことに意味があったと思います。
2日間お休みを頂き東京に戻りました。
次回からジーになる⑥です。