最近はクイズノックの面々や西岡壱誠など、自らの東大ブランドを売りにして商売をする輩が多いのですが、私は真逆で、高校名を明示したところ、ブランドに飛びつかれてうんざりしてしまったので、以前に書いた自己紹介記事を非開示にしました。

他の記事を一本も読まずに受験ブログと勘違いしたまま私のブログをフォローし、こちらは真剣に書いているいつもの内容を書くとフォローを解除していかれる。

そんな極めて不快なことも続いたので、既に読まれた方に忘れろとは言いませんが、以後出身高校は非開示とします。

 

私が聖光学院や渋谷教育学園出身だったとしても私の価値は変わらないのに、知名度がないからスルーされて、以前書いていた高校名を出すだけですごいすごいと言う日本人が私は大嫌いです。

 

ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーシリーズもそうですが、ブランドにとびついてすごいすごいと無批判に隷従する日本人(に限らないかな)が私は大嫌いです。

 

ゼノブレイドとかゼノブレイドとかファイアーエムブレムとか、ドラクエFFを上回るJRPGはたくさんあるんだよ!

 

池上彰のように時系列で分かりやすく、自己紹介を書き直します。現時点での暫定版です。

 

昭和の終わり 10月4日生まれ 東京都出身

出産予定日の9月29日(三大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエルの祝日)から5日ずれて天使の日に生まれる

 

<幼稚園時代まで>

自動改札機導入前を知る最後の世代。

年中から幼稚園に入るが、担任の女性が厳しく登園拒否に陥る。よく熱が出たと嘘をついて休んでいた。

秋のお遊戯会(演劇)の指導が厳しく嫌な記憶として残り続けており、これが今に至る演劇・お芝居、および俳優嫌いと声優への無理解へとつながっている。

見かねた両親が転園させ、ここでは優しい担任に恵まれ平和な園生活を送る。

 

幼少期から数字に異常な興味を示し、独学で小学2年程度の算数をマスター。

最初は雑誌「学習幼稚園」を毎月自ら買い求めるも、すぐに全ての問題を解き終えてしまい「物足りない」と不機嫌になる私を見かねた両親が公文式算数に目をつけ、これが大当たり。

幼稚園以外の時間は寝食を忘れて公文式算数のプリントに熱中。

親から毎日のように「もう勉強やめなさい!」と怒られていた。

親もまさか自分の子どもに「勉強やめろ」と怒るとは想像だにしていなかったとか。

 

毎年盆休みの家族旅行の際に密かに持参した公文のプリントを取り出してやろうとして「何しに来たの!」と父親にマジギレされたのが、生きてきた中で親に一番怒られた記憶。

 

ちなみに転園先の幼稚園(年長時代)は自由時間は画用紙に割り算の筆算の問題を自作して延々と解いていた。担任からは何も言われなかったが、同級生はどんな目で私を見ていたことやら。

 

<小学校低学年>

後に桜蔭中高→東大へと進むことになる学年で一番賢い女の子と班が一緒だったため、いい意味で私の学業成績は彼女に隠れて目立たなかった。

この頃から奇行が目立つようになるが、勉強ができたので問題が表面化することは少なかった。いじめの対象になることもなかった。

公立小学校だったが、貧困家庭が少ない地区で、家庭の事情で荒れているような同級生が殆どいなかったことも幸いしていたと今となっては思う。

ただ、このような子どもらしくない本を読書感想文の本に選定し、担任から「読書コンクールにも出せないし、学年の読書文集からもあなただけは外させていただきます」と言われ、物議を醸すことは多々あった。

(今となっては、子どもらしくないは名目で、政治的に物議を醸すことを避けたい事なかれ主義の教育現場だから私は注意を受けたのだと思っている)

池上彰に出遭う前から小学生らしくない社会派だった。

 

<小学校高学年>

折りしも、独善的なエマニュエル・マクロンフランス大統領に批判が集まり選挙で大敗したが、エマニュエルは独善的になる名前なのかもしれない。

私も独善的な正義感がこの頃から強まり、理不尽だと思うことをした教師には突っかかっていくようになった。

教師と互いに罵り合う展開をしたこともあり、事が教頭に伝わり、親が呼び出され「息子さんに公立中学は向いていません。自由な校風の私立中学を受験することを強くお勧めします」と言われてしまう始末。

 

もっとも私は、公立小学校での勉強があまりにも簡単で退屈だったので、『難しい勉強をするために』中学受験の塾に通い始めていた。

目的と手段の倒錯である。私立中学に入りたいのではなく、難しい勉強をしたいから私立中学受験コースの塾に通いたい。と親に申し出たのだ。

父親が学歴コンプレックスの塊だったこともあり、私の願いは父にとって渡りに船といった感じで許可された。

 

ただ、この時、あんなに楽しかった公文式算数は、中学課程に入り文字式が登場したことで全くできなくなっていた。教材を進められなくなっていた。

私はこの時、自分は計算はできても数学はできないことを自覚するべきだった。

この現象は中学に入り、数学(と英語)が全くできず、学年最下位をさまよいバカ呼ばわりされいじめの一因となることの伏線となる。

 

小学校では友達がいなかったわけではなく、勉強一辺倒で運動ができない私に野球を教えてくれたいい友達が複数人いた。

しかし私は、1年にわたる友達の熱心なコーチングも虚しく、キャッチボールすらまともにできるようにならなかった。

←握力がなくグローブをまともに握れなかったため。ボールをキャッチする以前の問題。苦笑

 

勉強同様、運動神経というか運動能力も固有に備わっているのだなという自説を強める原点になっている。

親も勉強ばかりではと私をスポーツクラブの無料体験に事あるごとに連れ出したのだが、私には苦痛以外の何者でもなかった。

私は公立中学の体育部の徴兵制部活動を批判しているが、私が運動を強制されて本当に嫌だったという原体験があることは割り引いてお読みいただくとよろしいかと。

 

中編に続く)

 

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