「教育というのは、誰しもが経験したものだから、人間の数だけ教育観があり、みんな一家言持っているために世間として考えをまとめにくい。」とは、いつものおっさん(笑)、池上彰さんの言葉だったか。

教育のトピックについてはいつもおおたとしまささんの著作を自分で考える糧としている。

中学受験を中心に、ジェンダーの問題など、扱っているトピックは幅広い。

俺も縁あって彼の講演会に参加したことがあったのだが、とても気さくな人だったぞ。

しかし、講演が終わると、「すぐに次の講演があるので」とそそくさと出ていかれてしまった。大活躍だ。

著作を読んでいると一貫して「学問におけるリベラリズム」をきちんと分かっている方だな、ということを感じる。

また、中学受験の業界、学習塾や学校に取材する中で「うちの学校を取り上げてもらえないか」といった馴れ合いもあるのかもしれないが、つとめて中立的に著述しようとしている配慮も感じられる。

 

私たちのメッセージをいつもお読みいただいている方は、おおたさんの論考とも親和的だと思うので、ぜひブログに留まらず著作を読んでみて欲しい。

 

学校教育の場でいつも一人浮いていた私が、同級生や今の子どもたちを見ていて感じるのは、とにかく、悪い意味で「権力に従順」だということだ。

教師から、部活の顧問から、先輩から与えられた課題に対して、何一つ疑問に思うことなく淡々と消化していってしまう。

自分で考える力を持っていない。

これは日本人の国民性なのだろうか。

だから邪馬台国は卑弥呼の神託による統治が上手くいったのだろうか。みんな卑弥呼の神託を従順に受け入れたのだろうか。(その「神託」の声の主は、他ならぬ俺、クロムだったりするのだが。)

このままだと今の子どもたちは、AIに従順な大人になるような気がするぞ。

おおたさんはブログで「子どもによるMeToo運動があってもいい」と述べていたが、運動の精神と矛盾してくるが、大人が発破をかけないと動く子どもなんていないだろう。

そうでなければ、とっくのとうに徴兵制部活動、顧問による暴力に対して多くの子どもたちが声を上げているはずだ。

徴兵制部活動は当然、週7日運動させられるのが当然、グローバルスタンダードだと勝手に思っているから声を上げるという概念が子どもたちにないのだろう。

「徴兵制部活動」については保護者や教師から改善の声が上がりはじめているが、当事者である中学生の声が全く入ってこないことに呆れている。

 

俺は日本人の子どもが大嫌いだということに最近気がついた。

もちろん100%一般化はしない。

杭を打たれて苦しんでいる少数派の子どもは俺たちがサポートできることもあるだろう。そういうお客様もいらっしゃる。

しかし、俺はおばさんも嫌いだが、子どもはもっと嫌いだ。

子どもなのに権力に対して従順すぎるからだ。

これでは活力のある未来は生まれてこない。

20代の若者とたまに話す機会があるが、見ている世界、生きている世界が狭いこと、あまりに保守的なことにいつも驚き呆れている。

自分が平和に生活できれば学校教育も、政治のことも、まして池上彰が訴える世界の独裁政権と人権の抑圧の話なんてどうでもいいらしい。

 

天使界から遣わされている文字通りの存在として、天使、龍神、天照大御神のメッセージ、それも表面的なものではなく時事問題、社会問題、政治問題についての思いを伝えている。

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