Ⅰ 人間存在としての救い <個人>
  「はい」と言われている存在
  1・創造された人間

人間が人間であることの核心、自分が自分であることの証しは、時代や環境、生まれによって違ってくるものではなく、「自分」の正体はもっと深いところにあるのです。
 マルセルの言葉を借りれば、存在の直観とは、「音の出ないピアノをひくようにいざなうのとおなじです。・・・所有される真理にはぞくさないというただそれだけの理由から、人目にもわかるように生み出すことはできないものなのです。・・・なんらかの経験ないし《体験》(Erlebnis)のように、コレクションに載せることも、目録をつくることもできないもの」(11)となります。
 人生に本当に目覚めるまでには、確実なもの、安定したものを自分の中に取り入れ、自分を守る、強く大きな他人への傾斜がありますが、自己同一化してきた対象からいったん離れるのです。取り入れてきたそれらのものを考え直す時、「自分」の殻は、砕かれます。断片から出発し、バラバラだったものを、もう一度、自分自身として再構築する。この意志の立ち上がりが主体性といえます。
 宗教のReligonは、「結びつける」というラテン語からきています。願い(祈り)をこめて魂を尽くし、再び結ぶ。

 

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 これは聖書の成り立ちによく似ています。
「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ)この世界に来られた御子イエス・キリストによって、父なる神の御言葉が証されました。十二使徒たちによって導かれた初代教会は、生前のイエスを語り継ぎました。
 これらの断片(伝承)から聖書は書かれたわけですが、聖書の枠組みに福音記者の神学的理念に基づいた創作(再構築)が見られます。(12)

 

(11)マルセル G.著 峰島旭雄訳「実存主義叢書4 存在の神秘序説」理想社 昭和51年 P38
(12)川島貞雄著「十字架への道イエスーマルコによる福音書」講談社 1984  P11