Ⅰ. 人間存在としての救い <個人>

 「はい」と言われている存在
 人は生まれ、人生を生きる。果たして、人間は、創造者という存在なしに、偶然にこの世界に投げ出され、たまたま生きているのだろうか。
 そうならば、先立つ意志も規範もなく、何を意志し、想い描いたらよいのか、何も分からないことになります。何者かに応えるということがなければ、生きる意味も目的も漠然としたものになり、また、何者かに応える自由と責任の自覚がなければ、何をしてもよい、何もしなくてもいいことになります。

 人間を無から「はい」と言われている存在へさせてくださった創造者が実在するのでなければ、人間の創造も、創造された人間の存在もありえません。しかし、人間には応えるべき存在があります。また、そのように人間は創られているのです。ということは、人間に呼びかけられる存在があるということです。「応える」とは、英語でrespond,名詞化すると、responsibility,つまり、「責任」となります。呼ばれて応えることは、責任を果たすこと。これが本来の意味であり、同時に、使命を果たすことになります。

 

ブログ掲載可の画像