点滴の針が刺さらなくなった。
外部から強制的に水分や栄養分を入れることができない
ということは、確実に死に向かっていくことを
意味する。
なにか考えてるんだろう、黒目が動く。
大きく静かに息をしてる。
自分がエンドに向かっているのはわかるんだろうか。
少し泣いてるようにみえる。
ウェットティッシュで顔をふく。
酸素マスクのゴムが食い込んで痛そうだ。
感じてるんだとしても、訴えることはできなさそうだ。
何もしてやれない。

明日、担当の先生と話す。
生命維持装置を外すような決断ではないので、
まだいいが。
積極的な治療をしないという意味では
そう変わりはないのかもしれない。

身内が具合が悪いと自分もだ、と誰かが言ってた。
引っ張られるよな、ほんとに。

春は

温度も下がったり上がったりで

晴れたり曇ったり降ったりで

一点にとどまることを知らない

季節です。

 

そんな季節が僕は嫌いです。

安定しない季節感に翻弄されます。

気圧の谷にやられます。

気持ちや考え方まで左右されます。

 

母が危篤なままで、一ヶ月を迎えようとしています。

母は痩せていくけれど、

みるみるうちに、というわけでもなく

表情も豊かになってきたりして

もしや?このまま復活するのでは?

と思ってしまうのです。

今日は、母が自分で見る角度によって

認識できる領域とできない領域があるってことが

わかりました。

なので、右側からのぞいたり顔を拭いたり

もしかすると脳の半分がやられているのかもしれないな。

そう思ったりもするけど。

 

紆余曲折の中で、生きてます。

自分にもかつてない危機が訪れています。

崖っぷちな状態で生きてる僕を

見かねて声をかけてくれた友達がいまして

彼らのおかげで、今僕はこうしていられるのだと

心から思うのです。

ありがとう、と言い続けています。

 

会社を辞めると言いました。

が、辞めるのをやめます。

あまりに無責任じゃないか?という声は

正直言って自分の心に深くは刺さらなかったのですが

お前が必要だと言ってくれた声は

とても深くに刺さりました。

そんな言葉を僕は、求めていたんじゃないかと

今は思っています。

 

変えることはできたんじゃないかなと

思うこともやめることにします。

受け入れることが大切なことだと

息をし続けている母を見ながら思いました。

変えるんじゃなくて

変わるんですね。

季節のように、ね。

 

日に日に春が強くなっていく。
この時季が好きではないのだが。
こんな状況でもあるし。
でも、春なんだな。

春に生まれた母は
まるでこの時期の気温のように
外には温かく、中には冷たかった。
外で出会った人の多くは
こんなに明るい人はいないとか
いつも元気で前向きで影響を受けたとか
言ってくださるのだが
家の中では
こんなに暗い考えの人はいないと思ってたし
何かにつけ人のせいにしてネクラな
あまりそばに長くいたくないタイプの
人でした。

あまり良い思い出がないのだけれど
カレーの美味しい喫茶店をやりたいと言ってたことを
突然思い出したりするこの頃。

10年以上病んだ旦那を支えて来たんだもんな。
さあこれからという人生がなかったんだよな。
子どもに過剰な期待をするほかに楽しみが
なかったのかもしれない。

でもね
子どもとしては
輝いてる母をいつも見ていたかったです。

家を建てた時の母の顔がいちばん輝いてたかも。
きっとなにか達成した感があったんだろう。
そんな家を先日大がかりに片付けてから
自分の心も風通しがよくなった
ような気がする。