5時ピタッと仕事を放り出して家路につく。

仕事はきちんとやっています、ただ

決められた時間以上にする気にはなれないだけ。

毎日ほぼデスクワーク。

自分にノルマを課して黙々とやっています。

昼飯も食えず(食欲がない)その時間を寝て

やり過ごす毎日。

疲れるのは脳みそと精神的なもの。

鬱々としてる。

この頃感じるんだけど会社の中で俺は

腫れ物みたいな存在だ。

気安く話しかけづらい存在なのかも。

まあ確かに、気楽に話しかけないでほしい

オーラを発しているけど。

仕事のエンドは全く見えないが、こうして

やり続けていればいつかは必ず終わるだろう。

その前に辞めてしまうかもだが。

 

昔のことを思い出す、が

鮮明ではない。

もうとっくの昔に匂いの記憶は失せた。

光や色もリアルさを伴わない。

古びた白黒写真のようだ、切なさもない。

最初の妻は、別れを切り出した時

なんて言っただろう。

思い出せない。

2回目の離婚は、二番目の妻の方から

切り出された、そのことは覚えてる。

二階の寝室で、日曜日の朝だったと思う。

彼女の前に分厚い透明な何かがあった。

手遅れな感じがあった、そこで何を言っても

元には戻らない。

子供達がいなかった、わざといなくさせてたのかも

しれない。

まるで他人事のように俺は妻の言うことを聞いてた。

最初の妻はなんて言ったかな。

車の往来の激しい、騒音で寝られない道側の部屋の

2DKの一室できっと俺は唐突に話したんだろう。

彼女は泣いたんだろう、多分きっと。

 

失い続けてここまできたんだなと、実感する。

さてな、ここからどう生きてやろうか。

そばにいる人の幸せを究極に願うことで

少しはマシな人生になるのかな。

でもそうでもしないとこれからの俺の人生

あまりにも陳腐でさ。

やるなら今しかねえ、か。

 

末井さんのエッセイ。
朝、新聞の片隅に発見して気になって
アマゾンKindleで購入。
目からうろこな内容でした。
「女は男を愛せない」
男は女を、自分を映し出すものとして大切にしなければならない、ということである。
男は女をしあわせにしてあげることだけを、考え実行してこそ自らがしあわせになれるのだ。
そういうとこになっている。
なるほど。
昨日から女房とギクシャクしてまして
昼に回転寿司を食べに行ったまではよかったのだが
突然、彼女は無表情になった。
明らかに不機嫌に。
そのあとずっと、会話らしいものも成立せず
何かかたまりが二人の間にできてしまったようで。
原因がなんなのかをずっと考えていて
きっと俺が不用意に放ったことばもしくは態度に不快感をもったものと思われ。
それは今までもよくあったことで、その都度それは乗り越えたのだが
乗り越えられたというステップアップ感はなく。
今に至る。
またか?と思うのだ。
地雷を踏んだ、というやつ。
それで、末井さんの「結婚」を購入するに至ったわけです。
一気に読み終えて、わかった気がする。
簡単に言うと、俺は妻から愛されたいと思っている。
妻をしあわせにしようと努めていない。
妻の乗る車を買い換えようという話のときに、自分でローン組みなさいと言ったりした。
ヘッドライトの電球が切れて、警察に止められたりしてるのになんで早く自分で直しに行かないのか?と
思ったりして。
それらはすべて俺の妻に対する思いの足りなさに因るのだと、悟った。
彼女をしあわせにすることを最優先しなければ、おれのしあわせは来ないのだ。
そういうことだったのだ。
これからずっと、黙って実践。
出会いに感謝!

久しぶりに長野びんずる祭りに参加。

と言っても踊ったわけでなく。

バンドで参加。

ジャズ・ボサノバの宴に寄せてもらいました。

 

この年まで趣味を続けてると、

自然に仲間が増えたので

趣旨を同じくするイベントに行けば

そんな仲間に多数会えます。

それを期待していくわけじゃないのだけれど

実際いると嬉しいわけで。

 

出会う場があるのなら、そりゃあ

ステージ上から会える方がいいわけで。

今回は慣れ親しんだぽっぽ公園内のステージ

高さもあって客席の顔も良く見えて

とっても気分良くやれました。