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 外は木枯らしが吹いています。明日は東京地方は寒くなるとのこと。

 さて、今夜は、山梨の小淵沢駅で買った土瓶や「寿ずらん餅」などから、駅弁や餡子の入った餅のことなどを考えてみようと思います。

 まず、駅弁ですが、これは文字通り、鉄道の発達とともに発展してきました。駅弁発祥の地は東北本線の宇都宮駅だと言われています。竹の包にはいったおにぎりと沢庵がついた程度のものだったといわれています。漱石の「三四郎」では、熊本から東京の大学に入学すべく列車で、当然のことながら蒸気機関車でしょうが、向かう主人公が車内で駅弁を食べるシーンが冒頭のほうに出てきます。したがって明治の半ばか終わりごろには、すでに駅弁はあったのでしょう。
 3連休を山梨の北杜市で過ごすために、先週の土曜日、新宿駅を昼の12時きっかりに出発する松本行きの特急に乗ったのですが、昼時でもあり、プラットフォームにある駅弁屋さんで昼食代わりに駅弁を買ったのですが、種類が豊富で選択に困りました。迷ったあげく、鳥のから揚げつきのチキンライスにしました。これは昔から東京駅にもあったものです。本当かどうか、皇太子の浩宮様もお好きだそうです。公務で新幹線を利用されるときは、鳥のから揚げつきチキンライスをお買い上げになるとか。私は61歳になったばかり、浩宮様も50代のそろそろ後半でしょうか。恐れ多いことですが、ほぼ同年代といってもいいでしょう。チキンライスというのは、私の年代にとっては結構、モダンな食べ物という”味の記憶”があります。デパートのお子様ランチでは必ずあった記憶があります。また、私の生まれ育った近所に、お金持ちのお家の奥さまがいて、しばしばチキンライスを作っては、「お食べなさい」と言われた幼いころの記憶があります。 
 チキンライスは冷えてもおいしく食べられれます。また、値段も安いほうだったと記憶していて、学生時代にはチキンライスの駅弁を買って、旅をしていた記憶があります。
 では、お茶はどうしたかというと、私の学生時代には、まだペットボトルのお茶はありませんでした。薄手のプラスチックだったかビニールだったか、土瓶を模した形のものでお茶は売られていました。小淵沢の駅で買ったような土瓶にお茶が入っていた時代は、もっと前、今から50年ほど前までかと思います。プラスチックの時代はアッと間に消滅し、ペットボトル時代に突入します。
 つまり、駅弁につきもののお茶は、土瓶時代が明治から大正、昭和20年。30年時代まで長期にわたり土瓶の覇権時代が続き、プラスチックのお茶の時代はあまり長続きせず、あっという間にペットボトルに取ってかわられたというのが、駅弁につきもののお茶を入れる容器の歴史的変遷かと思います。骨董市でも、昭和前期以前の土瓶を見ますが、結構なお値段がついています。だからこそ、小淵沢の駅で土瓶の復刻判を見た私は、迷うことなく購入しました。ちなみにお値段は500円玉1枚ででおつりがくるという、信じれれないお値段でした。そういえば、小淵沢駅の開駅100年だったかと記憶していますが、その時の記念の土瓶も1個、持っています。
 話がそれますが、長野新幹線で駅がなくなったしまったのが群馬の横川駅の峠の釜めしです。ただし、おいしいので今でも手に入ります。中央高速道のインターチェンジの売店でも売っていたのには驚きましたが、この容器のお釜は、益子焼です。ただし、大量に作りますので、型抜きで作ってあるようですが、横川の峠の釜めしの容器や、小淵沢駅のお茶を入れる土瓶などは、100年後、200年後には、「くらわんか」のような扱いを受けるようになるのでしょうか。どんなもんでしょうか。

 さて、続いては餡子の入った餅です。餅の中に餡子の入ったタイプと、餅を餡子で包んだ2種類に大別されますが、日本一、有名な餡子餅といえば、伊勢の「赤福」でしょう。しかし、伊勢神宮に行くとわかるのですが、「赤福」以外にも、餅屋さんはあります。伊勢神宮に行った方や地元に方ならば先刻、ご存知の話でしょう。
 私が「ほおっ!」と思ったのは、小淵沢の駅で駅弁を製造・販売している「丸政」さんは、もともとは駅弁でなく、「寿ずらん餅」という餅を作って、売っていたということを知ったことでした。また、私が中央線に乗る際の楽しみは山梨の大月名物の「笹子餅」を買うことです。昨日の帰りの特急での車内販売でも、甲府駅で「笹子餅」を積み込んだはずですが、私が求めたときには、「売り子れです」という非情な社内販売の方の一言でした。でも、私は小淵沢駅で「寿ずらん餅」を手に入れていたので、「ああ、そう、残念だな」と鷹揚に答えることができました。そうでなかったら、私は激情のあまり、「なぜだっ!!」と大声を出していたかもしれません。
 というような、どうでもいい私的感情は別に、餅、しかも餡子が入った餅というのは、今ならばファストフードといった存在ではなかったでしょうか。庶民が旅を楽しめるようになった江戸期には、街道の宿場町にはかならず茶店があり、そこでご飯と味噌汁で腹ごしらえはできたかと思います。
 では、各地の名物としての餡子の入った餅はどういう存在だったのでしょうか。先ほどは「赤福」のことを述べましたが、ほかにも静岡の安倍川餅、大津だったかと思いますが、走井餅など名物の餅は各地に数限りなくあります。
 餅はもともとは、正月や祝い事の際に、うるち米を蒸し、臼でついた食物のことです。タイなどに旅をされた方はご存知でしょうが、チェンマイあたりになると、うるち米を常食としています。そして、餅はおにぎりなどよりも、長期の保存が可能です。江戸の旅は馬や駕籠ででもなければ、足で歩くしかありません。まして峠などの難所をこえるときには茶店で餡子の入った餅を食べれば、疲労回復にもなるでしょうし、少し多めに準備しておけば、いざというときの非常食にもなったのではないでしょうか。餅の名前に様々な名前がはいっているのは、その地名をとったとか、その土地に伝わる伝説にちなんでいるようです。抹茶茶碗に銘をいれるのは、小堀遠州からだと聞いたことがありますが、それが江戸の美意識で、餅にも応用されたのかもしれません。
 唐突に思い出したのですが、京都の北野天満宮の近くには「長兵衛餅」という餡子の入った求肥に近い餅があります。なんでも豊臣秀吉が食べて、その味に感動し命名したそうです。私も大好きです。京都土産は長兵衛餅です。あまり甘くなく、餅ほどの歯ごたえのないやさしい触感、さすがに太閤はんが感心されはった味やと思います。ただし、峠越えをするには物足りんかもしれません。

 さて、明日は、わが尊敬するみうら・じゅん氏に敬意を表して、郷土玩具と「いやげ物」や「ゆるキャラ」の比較論をお話ししたいと思います。

如庵