さて、今夜は、千利休を主人公にした映画のお話しをしましょう。便利な時代になったもので、過去の映画がYOU TUBEで簡単に見られます。利休400年忌の1990(平成2)年の前にあたる1989(平成元)年には2本の映画が製作されています。まずは野上弥生子さんの「秀吉と利休」を原作にした「利休」(監督・熊井啓さん)です。そして、井上靖さんの「本覚坊遺文」を原作にした「利休 本覚坊遺文」(監督・勅使河原宏さん)です。1989年といえば、今から27年も前になります。当時の日本はバブル経済の最後の時代にあたります。私は30代半ば、バブルでイケイケでした。お恥ずかしい・・・
さて、利休さんですが、熊井監督の映画では三船敏郎さんが、勅使河原監督の映画では三国連太郎さんが、それぞれ演じていますが、こちらは圧倒的に三国さんの利休さんのほうが存在感があると思います。個人的には三船さんも三国さんも好きな俳優さんです。しかし、三船さんはどうしても黒沢映画のイメージで「サムライ」のイメージがします。あまり茶人、といっても利休さんの時代には茶人という言葉はなく「数奇者」とかいっていたようですが、三船さんだと武骨すぎる感じです。その点、三国さんのほうが演技は確かですし、茶人イメージは三国さんのほうが強いように感じます。
さて、次に秀吉役ですが、熊井監督では芦田伸介さん、勅使河原監督では山崎努さんが演じています。こちらも山崎努さんのほうに、軍配があがります。芦田さんですと、秀吉の野卑な感じが出てきません。知的というか上品すぎるのです。山崎さんの秀吉は、成り上がりものらしい傲慢さと、その一方での小心さをうまく表現しています。母親の大政所を演じる北林谷栄さん(今のお若い方はあまりご存知ないかもしれませんが、今でいったら樹木希林さんといったところでしょうか)と話すところでは、尾張言葉丸出しです。
また、映像美という点でも勅使河原さんの映画のほうが安土桃山時代の華麗な感じが出ていて、あの時代はそんな感じだったのだろうと思わせます。ちなみに、勅使河原さんの映画の脚本は赤瀬川源平さんが書いています。そして、赤瀬川さんが岩波新書で、前衛芸術家としての利休について語っています。この赤瀬川さんの岩波新書の利休論もお勧めです。
一方、熊井監督の映画は、奥田瑛二さん演じる本覚坊という利休の弟子の視点から描いていて、いわば芸術映画的な部分があります。ただし、エンターテインメントとしての映画という意味では
勅使河原さんの映画のほうが、飽きずに見られます。
さて、ここまで書いてくると、2013(平成25)年に制作された山本兼一さん原作の「利休にたずねよ」はとりあげないのかと言われそうですが、私自身は、山本さんの小説は好きです。しかし、率直にいって、「映画」についてはあまり評価しません。原作者の山本さん自身が、利休役は、是非、市川海老蔵さんにやってほしいと何度も口説いた結果、海老蔵さんがしぶしぶ利休役を引き受けたというエピソードがあります。利休さんを演じるには、海老蔵さんはまだ若いと感じます。海老蔵さんは、小林正樹監督が1962(昭和37)年に制作した「切腹」をリメイクした「一命」でも、仲代達矢さんが実年齢で30歳で演じた主人公を演じていますが、その主人公はたぶん50歳はすぎているでしょうが、とても30歳で演じているとは思えない仲代さんの貫禄です。「切腹」には、三国さんも家老役で出演していますが、これまた、貫禄十分です。
海老蔵さんを非難するのが、私の本意ではなく、今の日本で役者をするということの大変さを痛感するのです。いい映画の条件は監督の力量と、いい脚本です。俳優さんや役者さんを生かすも殺すも監督の力量だといいたいのです。その意味では、今の日本映画は不幸な時代かもしれません。私は春日太一さんの著書の愛読者でもあるのですが、春日さんはどうお考えになるか聞いてみたいものです。
昨日に引き続き偉そうな文章になってしまったようですが、北朝鮮で”水爆実験”かという、とんもないニュースが新年早々、飛び込んできました。そんな日に、私ごときが偉そうに映画論を書くというのも烏滸がましいのですが、いつまでも成熟できない自分への戒めとしても書いてみました。
如庵