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 東京地方は朝から快晴、散歩がてらに護国寺の骨董市をのぞいたり雑司ヶ谷の鬼子母神界隈を散歩したりしました。

 護国寺の骨董市は、毎月第2土曜日に開催されます。業者さんの数は20軒から30軒ほどでしょうか。去年11月は雨で中止、12月はヤボ用で行けなかったので、3か月ぶりになります。
 関西出身で中国や日本の陶磁器や西洋アンティークを扱う顔なじみの業者さんと立ち話、去年までは中国人のお客さんの”爆買い”がすごかったそうですが、今はそうでもないとのことです。ニュースでは上海の株の暴落や、成長率の鈍化が伝えられていますが、当然のことながら、こうしたこじんまりした骨董市にも、そうした経済状況はすぐに反映するのでしょうか。この業者さんにとって、私はあまりいいお客さんではありません。私が買わない客だからです。でも、顔を覚えてくれていて、なぜか話がはずむのです。この業者の父君が骨董好きだったそうで、かなりいいものを扱っています。IT関係の仕事をしていたとのことですが、思うところがあり、骨董屋さんになったと聞いています。まだ40代後半です。お名前も聞いた記憶があるのですが、忘れてしまいました。そうした名前など関係なく、世界状況や日本の政治・社会状況(やや大袈裟ですが)から骨董のこと、民芸論、西洋骨董などなどを、腹蔵なく話せるというのも骨董好きという共通基盤があるからでしょうか。
 小学生らしき男の子2人組を見かけました。元気そうな子供たちです。話しかけると、近所に住んでいて、小学5年生だそうです。ハキハキと答えてくれます。テレビゲームなどには関心がなく、将棋が好きで、山形・天童の大型の将棋の駒を探しにきたそうです。なかなか、渋い趣味の子供たちです。さっそく、大型の将棋の駒を探し出し、「おじさん、これいくらですか?」と業者さんに聞いています。お値段は小学生のお小遣いで買える金額です。あるいはお正月のお年玉で、私のような”貧好き骨董者”よりも、懐が温かいかもしれません。また、渋い趣味の子供たちと言いましたが、私が郷土玩具の収集をはじめたのは中学生のころからですので、似たもの同士かもしれません。
 去年夏にガラクタを引き取ってもらった葛飾の業者Oさんのところでは、熱いコーヒーをご馳走になりました。Oさんは古本などや新作の焼物を中心に扱っています。先ごろ、亡くなった直木賞作家の杉本章子さんの「東京新大橋雨中図」の本のことを聞かれました。”最後の浮世絵師”といわれた小林清親を書いた本です。小林清親の「上野東照宮積雪之図」のことや杉本章子さんのことは、このブログで書いていますので、あれこれとお話ししました。また、山本兼一さん、澤田ふじ子さん、火坂雅志さんが骨董をテーマにした時代小説も書いていること、これもこブログで書きましたが、そうしたこともお話ししました。しかし、杉本さん、山本さん、火坂さんといずれも60歳を目前に亡くなっていると思うと、胸が痛みます。もっと、この3人の方たちの作品を読みたかったですし、年齢を重ねることで、一層、円熟した深味のある作品を生み出してくれたのではなかったかと思います。
 「布志名焼」と書かれた茶壷を見かけました。70歳半ばと思われる正直そうな業者さんに聞いてみると、出雲つまり島根の松平不昧公のお庭焼だそうです。茶壷は青釉がかかっています。我が家には「出雲焼」の枇杷色をした抹茶茶碗がありますが、どうも出雲焼は総称のようです。あとで自宅に戻って「角川 日本陶磁大辞典」で調べてみると、出雲焼には楽山焼と布志名焼(ふじなやき)があるとのことです。我が家の抹茶茶碗は、明らかに楽山焼です。萩焼の職人の指導を受けていますので、萩焼と似ています。一方で、布志名焼は青釉や黄釉の日用雑器を焼いたが、これまた、不昧公の好みです。私が魅かれたのは、茶壷そのものよりも、蓋を覆う錦の布と紐です。その紐をほどいた形跡がないのです。しばしばあることですが、掛け軸でも、その書や絵よりも、表装に使われた布に価値があることがあります。また、この業者さんのところには、山形の平清水焼の仏花器がありました、正確には千歳焼というそうですが、こちらも手の込んだ作りでした。我が家には仏壇がありますので、どうしようかと迷いました。仏花器というと、死を連想するらしく、あまり人気がないと、その業者さんはこぼしていましたが、さきほどの杉本さんや山本さんや火坂さんなど60歳を前に亡くなっていることを考えたり、初老の私などは、否応なく死を考えるようになります。私の父は59歳で亡くなっていますし、私のパートナーの父、つまり義父は65歳で亡くなっています。若いときよりも、体力は落ちたのは確かですが、いつ亡くなってもおかしくないと思うのです。だからこそ一日一日を大切に行きようと思うというとカッコよすぎますが、自分に残された時間をついつい計算してしまうのです。あと10年か20年か。
 また、心魅かれたのは、別の業者さんのところの、瀬戸の於呂窯の発掘物の抹茶茶碗です。1か所直しがありますが、いい味を出しています。さらには、相馬焼の抹茶茶碗です。相馬焼には御用窯と民用窯の2種類がありますが、この抹茶茶碗は明らかに相馬藩の御用窯で焼かれたもののようです。そうした茶碗を眺めていると、20代とおぼしき若い女性の2人組が、そば猪口を手にとって「おじさん、これいくら?」と聞いています。「ふちに1か所、欠けがあるからね」といい、お値段を告げています。お嬢さんたちは決断が早いですね。「わかった、いただくわ」。初老のオヤジが、私のことですが「金繕いするといいよね」というと、お嬢さんたち、「私たち、金繕いは得意なんです」と笑顔で答えてくれます。つい悪乗りしたオヤジは、「最近、お嬢さんたちの間で、豆皿がブームらしいですね」と聞くと、「ええ」と言いながら、片手でその大きさを示してくれました。去年の暮だったか、テレビのニュース企画で、若い女性の間で豆皿ブームというのを見ていたからです。さらに有田などでも、新しい豆皿を開発中といったこともテレビでは伝えていました。こうしたものが、100年後、200年後には骨董として扱われるようになるのかもしれませんね。
 今日の護国寺の骨董市では、将棋好きの小学生2人組や、そば猪口を買うお嬢さん2人組に教えられたような気がしました。

 護国寺の石段をおり、不忍通りから目白通りへ、遠くには西新宿の高層ビル群が見えます。そうこうするうちに雑司ヶ谷の鬼子母神参道へ。去年の正月明け、つまり1年前には、雑司ヶ谷七福神回りをしたことを思いだしました。ケヤキ並木の通りをぶらぶら歩いていき、鬼子母神にお参りしました。このあと、もっとおもろい話があるのですが、また次回で・・・

如庵