九州の熊本や大分では先週14日以降、終わりの見えない地震活動で、数多くの人々が避難を余儀なくされ、また、40人のこえる犠牲者の方も出ています。私自身30歳代の時に、3年間、熊本で勤務経験があるだけに、複雑な思いです。あの当時は、働き盛りの年頃で、仕事が最優先でした。先日、NHKの「ブラタモリ」で熊本城や水に恵まれた風土を紹介していましたが、私自身は、あの頃は、そんな熊本の風土や文化を満喫できず、あらためて熊本の良さを見直した矢先の地震で、思いは複雑です。
そうした思いを抱えながら、土曜日と日曜日は、「週末は山梨で」というキャッチフレーズに魅かれて、八ヶ岳山麓の温泉宿に保養に行っていました。
土曜日は天気に恵まれ、桜もまだ楽しめるとあって、小渕沢の駅から久しぶりに温泉宿まで歩いてみました。この温泉宿には40歳前後のころからしばしば訪れており、よく歩いたものです。夏の暑い時期も八ヶ岳から降りおろす冷たい風の冬の季節も歩いたものです。いつだったかは「信玄棒道」と伝わる古道も歩きました。これは伝承によれば、武田信玄が上杉謙信と覇権を争った信州へ軍勢を催すときに、一刻も早く信州へ行くために信玄が作った道だと言われています。
さて、そうした無駄話はともかく、小渕沢の駅から30分ほど歩いていくと大滝神社があります。この辺は富士山の湧水に恵まれています。ウイスキーで有名な白洲の水や三分の一湧水などがそうですが、この大滝神社も湧水そのものがご神体ではないかと思います。神社の境内の湧水から流れる小川の透明度は驚くほどです。その大滝神社の近くには神供石(しんくいし)という巨大な岩があります。高さ5メートル、周囲15メートル、重さ90トンという岩です。富士山の噴火の時にこの地まで飛んできたようです。八ヶ岳の山頂にはまだ雪が残っていますが、道端には桜、菜の花、桃の花、西洋タンポポなどが咲き誇っています。また、ラベンダーを思わせる紫色の花、さらにはチューリップも。里山の春というべきか、それとも里山の初夏というべきか。リュックサックを背負った背中は汗でびっしょりです。ウグイスの鳴き声も聞こえます。大滝神社から、さらに30分、「神田の桜」が見えたきました。「神田」は「かんだ」ではなく、「しんでん」、つまり神の田です。しかし、寄る年波のせいで、今はネットで保護されています。この辺は、土地の人によれば日照時間が日本でも指折りの長さのために、ソーラー発電も盛んです。だからこそ山梨はフルーツに恵まれているのでしょう。さらに30分ほど歩くと柿平(かきだいら」の地区にでます。秋の実りに季節はその地名通り、柿の実をあちらこちらに見ることができます。
日曜日、朝9時ごろから雨・風とも強くなる中、温泉宿の主人の車で、北杜市の南部の富士川町や南アルプス市に出かけました。ドライブの途中、韮崎を通ります。韮崎といえば、小林一三さん、ノーベル賞を受賞した大村さん、サッカーでいえば中田英寿さんなど著名人を輩出しています。山梨というのは小さな県ですが、そうした人材の豊富さという点ではあなどれません。実力のある地域なのでしょう。富士川町へ行く途中、左側に七里岩が見えます。高さは10メートルをこえるでしょうか。富士山の噴火で流れ出た溶岩を釜無川が削った結果、できたものだそうで、それが七里にわたってあることからついたそうです。ところどころに岩石がむき出しになっています。武田勝頼が築いた新府城も、その七里岩の上に築城されたそうです。千曲川の河岸段丘を利用した真田氏の上田城をふと連想しました。
さて、南アルプス市へ行ったのは、今から300年前に建てられた安藤家住宅を見るためでした。安藤家のご先祖は武田氏の家臣で、武田氏が滅亡したあとは徳川氏についた時期もあるようですが、結果的には帰農し、江戸時代はこの付近の大庄屋となったものの、ご子孫は今はなく、山梨県の所有を経て、今は南アルプス市の所有になっているそうです。長屋門や母屋、あるいは蔵などが300年前とほぼ同じ状態で残されているそうです。最後は、安藤氏のご子孫にあたる老女がひとりで守っていたそうです。ガイドの方の説明では隠し部屋もあるとか。それで思い出したのは、唐突ですが、鹿児島の坊津で江戸期に密貿易をやっていたと伝わる屋敷でした。今かr30数年前に、坊津を訪れた私は、その屋敷を訪ねました。老女がひとりで住んでいて、希望すれば宿泊できるとのこと。そこで1泊をお願いしたら、「どうぞ」とのこと。しかし、夜になってもろくろく眠れません。すると、ガリガリという音が聞こえてきました。ぎょっとした私、ますます目がさえてきました。あたりを見渡すと、なんとその物音の主はネコでした。
安藤家の住宅は立派なものですが、その規模でいえば、北関東や東北の豪農屋敷に比べれば小さいものですが、しかし、300年前と言えば、赤穂浪士の討ち入りのあったころの建物です。そうした物持ちの良さも、また、山梨のすばらしさかと思いました。ガイドの方によれば小学校の社会科見学で、子供たちが訪れたり。また、この日は、離れの茶室で撮影がありました。若い女性数人がいたので、聞いてみると、コスプレを楽しみながらの撮影かとか、こうした形で利用されるとは、安藤家のご先祖も驚いていることでしょうね。
また、ガイドさんによれば、行政の所有になったときに、様々なお宝が蔵からでてきたそうです。今は、漆をぬった仏壇や、ヒノキの一枚板を利用した戸などにその面影をしのぶことができますが、さぞかし、素晴らしいお宝がでてきただろうと思いました。
如庵