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 「骨董亭如庵」9日目です。今日は北風が冷たい日でしたね。今週末は、最高気温も25度近くなる予報ですが。そろそろ週末の骨董市はどこへ行こうかと思いますが、毎月第二土曜日の護国寺の骨董市ははずせません。我が家歩いて1時間弱ですから、散歩がてらに行くにはいいんです。また、「大正名器鑑」の高橋筝庵ゆかりの寺です。帰りは、雑司ヶ谷の鬼子母神によって、「おせん団子」を買うのもいいですよ。鬼子母神といえば、すすきミミズクが有名ですが、私の学生時代ですから、もう40年以上前になりますが、すすきミミズクを鬼子母神の境内で買いました。今でも、わが書斎で私を見降ろしています。
 さて、今夜は、「へうげもの」こと、古織さんの好んだ轡茶碗のことでも書きましょうか。黒楽や小萩の端正な形とは異なり、妙な形に歪んでいて、また、子供の落書きのような模様が描かれています。私の手元には3個の黒織部があります。1個目は割と大型でぐにゃりと歪んでいます。2個目は鳴海織部の黒を基調に緑色がかったもの、そして、3個目は、やや小型で上からみると三角のおにぎりの形をした黒織部です。3個目のものは、仙厓造と書いてあります。富山の茶人の方の家からでたもだと業者さんから聞きました。仙厓和尚は有名ですが、さすがに仙厓和尚が作ったものではないでしょう。私自身はお茶をやるわけでもないので、それぞれの実際の使い勝手はわかりませんが、その造形美が好きです。オブジェとして見て面白いのです。そして、ぐにゃりと歪んだ形は、専門家に言わせるとかなり計算された造形だといいます。いずれも箱書きなどはありません。単純に、その形が面白くて譲ってもらったものです。
 織部ではほかに、小型のキセルがあります。最初に見たときは、水差しかと思いましたが、業者さんに聞いたらキセルとのこと。確かに日本に煙草が入ってきたのは、安土桃山時代ですから、時代的にはあいます。また、鳴海織部の振り出しや織部好みの芽張柳蒔絵の中棗もあります。いずれも、ひとめで織部とわかります。織部の小皿なども、その緑色と形でひとめでわかります。そうしたひとめでわかるというのは結構、大事なことではないでしょうか。私のような素人でもわかるそんな茶道具を考えた古田織部さんはたいしたもんですなあ。
 利休好みというのもありますが、いつかのブログで書いたように、その精神性の高さは、まだ私ごときにはわかりませんが、織部の遊び心というのは好きやね。彼も、利休と同じように、当時としては長生きした上に切腹という最後を遂げます。大坂夏の陣だったか冬の陣で、豊臣方に内通したという疑いをかけらたのが、その理由だったと記憶しています。ただし、当時の人々の感覚だと、切腹というのは悲劇ではなく、名誉ある死だったのではないでしょうか。戦国武将は、私たち現代人と違い、畳の上で病死したりするよりも、切腹で人生の最期を迎えるほうが華々しいくらいの心構えがあったのではないでしょうか。利休は武将ではありません。堺の町人ですが、その心構えは戦国武将なみ、あるいはそれ以上の肝っ玉があった方なのではないかと思います。
 そして、面白いのは、利休も織部も亡くなっても、彼らが愛した茶道具は今でも、私たちの周りに残っているということです。それも、また、骨董の魅力です。

 さて、いつかのブログで淡路の珉平焼を泯平焼と書きましたが、正しくは珉平焼です。訂正して、おわびします。

如庵