「骨董亭如庵」2週目に突入です。
突然ですが、1990年代はじめですから、もう四半世紀ほど前、仕事で地球の反対側のペルーやブラジルに行きました。それそれ1か月ほどの滞在でした。私は30代半ば、まだ元気のある年代でした。ブラジルでは、アマゾンを中心にリオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリアなどに行きました。ブラジルという国は広い国です。サンパウロあたりで話をしていると、同じブラジルでありながら、アマゾンに行ったことはないという人も多くいました。アマゾン川河口のベレンの町で、散歩していて、陶器の灰皿を買いました。何の変哲もない黒茶色の土産ものの灰皿ですが、今も愛用しています。
ペルーでは、首都のリマに滞在しました。まだ、センデロルミノソという反政府グループが力をもっていた時代です。帰国後、リマ滞在中に2,3回、食事にいった日本料理屋が爆破されたニュースを知ったときには驚きました。リマから車で2,3時間ほど行ったパチャカマ遺跡は、今も記憶に鮮明です。太平洋に面した砂漠地帯にあります。ところどころに遺跡の石組が見えました。リマでは、私たち東アジア人と同じような顔をしたインディオの人たちの顔を数多く見ました。地べたに座って物乞いのようなことをしていました。ご承知のように彼らの先祖は、数千年前か数万年前か、今の東アジアからベーリング海峡を渡り、今の北アメリカ大陸に住みついた連中は、のちにインディアン=ネイティブアメリカンと呼ばれるようになりました。さらに南米大陸まで行ったわが仲間たちはインカ帝国やプレインカ文明を築きました。それが今は、地べたに座っている、複雑な気持ちになりました。それ以来、インカ文明に関心をもち、本を読んだりしていましたが、去年の暮に骨董市で立て続けに、インカ文明の皿やプレインカのらしき壺を見つけました。インカ文様が派手な皿は丸底です。その値段からすると贋物かもしれません。サラダボールほどの大きさです。仮に贋物でわざと割って、それをあらためて復元するという一見、無駄なことをやったとしても、その労力を考えるとタダ同然の価格でした。
その1か月後には、小型の壺を骨董市で見つけました。骨董業者は、某大学が戦後間もないころに、アンデス文明調査隊を派遣し、そのときに出たものだと言っていましたが、これまた、ただ同然のお値段です。赤地に白と黒のまだら模様が4か所描かれています。首の部分は黒色、そして2か所、取っ手が付いています。状態がよすぎる気がします。プレインカと私が思ったのは、勝手に私がそう思っているだけです。我が家の近所にアンデス文明のアンティークを扱っているお店があるので、一度、鑑定してもらおうかなと思っていますが、まだ果たしていません。アンデス土器の特徴は底がとがっている尖底だそうですが、この壺もそう思えば、そう見えなくははありません。リマには有名は天野博物館がありますが、残念ながら、リマ滞在中に博物館に行く時間はありませんでした。
リマからは成田までの直行便で帰ってきたのですが、そのときのお土産はアルパカで織ったセーターでした。今でも冬は着ています。もう25年も前のものですから、これはこれで多少の骨董的価値はあるのではないかというのは屁理屈ですが、リマの空港を飛び立った瞬間、不思議な感覚に襲われました。私が生まれ育った日本とは反対側のところにも、人々の営みが、それは長い歴史も含めてですが、あるという当たり前のことが、とても不思議でした。ブラジルやペルーなど年米に住んでいる人たちからすれば、そんな感覚はもたないのかもしれません。なにせインディオの人々は、東アジアから長い時間をかけて南米の地へやってきて大文明をうちたてた人々ですし、あとから入ってきたスペイン系やポルトガル系に人々は、大航海時代に、帆船で日本までやってきた勇気ある人々の末裔ですし。
そんな埒もないことを考えていたころから25年後に、インカかプレインカかの土器が次々と手に入る、本物か贋物かは別に、これまた骨董の醍醐味です。
如庵