骨董亭如庵 第86回 | michael-thのブログ

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 先週の土曜日から2泊3日で、箱根の強羅温泉へ行ってきました。皆さんご承知のとおり、大湧谷の火山活動が活発化して、レベル3だったか4まで行った時期があり、強羅地区も、一部が、立ち入り禁止になりました。2年前の夏に行って以来の強羅です。
 土曜日は、雨が降ったために、もっぱら露天風呂に浸かっていました。昨日の日曜日は、温度も高く、風も全くないので、散歩がてらに箱根美術館に行きました。岡田茂吉さんのコレクションが展示されています。すばらしい茶道具を見ながら、ため息ばかりです。岡田さんという方は特許料での収入を茶道具や古美術のコレクションにつぎこんだようです。なかでも、面白かったのは茶入の銘「臨月」です。正面から見ると、下半身がふっくらしています。ところが角度を変えて、斜め後ろから見ると、なんと、出産まじかの女性のおなかのようです。豊臣秀吉から細川幽斎をへて、水無瀬家に伝わったものだとか。なお、高橋筝庵の「大正名器鑑」にも掲載されているとのこと。茶道具の場合、伝世品が珍重されますので、数多い茶道具の展示品の中でも、この茶入れが一番、高価なものだろうとゲスの勘ぐりです。景徳鎮で焼かれた陶磁器もありますが、あまりに完璧すぎる感じです。

 箱根美術館の隣には、強羅公園があります。益田鈍翁から原三渓、松永耳庵に譲られた白雲山荘と名付けられた茶室があります。ここでは、薄茶と茶菓をいただくことができます。箱根山の噴火でできた巨岩怪石をうまく利用し、鈍翁好みの農家風の茶室です。あつかましく、入っていくと、人の気配に気づいたのか、妙齢の和服の女性が茶室の奥から出てきました。薄茶をいただくわけでもなく、ふと、見ると「白雲洞」となづけられた茶菓を売っています。お土産に「白雲洞」と名付けられたよもぎ饅頭を求めました。それをきっかけに、その和服を着た妙齢の女性とお話しました。1年間に1回、小田原あたりの「数寄者」の方たちが、好みの抹茶茶碗を持ってきて、お茶を楽しむとのことです。妙齢の女性から「数寄者」という言葉が出たのが、きわめて印象的でした。利休さんのころには、「茶人」という表現はなく、茶の湯や茶道具が好きな人を「数奇者」=”すきもの”でなく、”すきしゃ”と読みます、と言いました。その言葉が鈍翁ゆかりの茶室に残っている、感激であり、驚きでした。
 
 今日は9時に強羅を出て、湯本まで歩きました。2時間ほどでしょうか。箱根登山鉄道ならば、強羅から湯本までは40分ほどです。しかし、ほとんど下りで、温泉でふやけた体を鍛えなおすために、歩いてみました。小湧谷まで30分、宮ノ下まででほぼ1時間。数年前に宮ノ下の富士屋ホテルに泊まったことがあります。ここは外国人の観光客が好んで利用しました。ホテルの近くには、そのなごりで外国人観光客をお得意さんにした古美術屋さんが今でも数多くあります。
 湯本までは、ほとんど下り道です。大平台までで1時間半、そろそろ環翠楼の建物も見えてきました。湯本についたのは11時でした。正月には、この坂道をはしる箱根駅伝がありますが、選手たちには尊敬を覚えます。よくもこんな坂道を走ったりできるものです。湯本では、前から気になっていた「てりふり人形」を求めました。
 さて、小田急ロマンスカーで新宿に出ようと思ったら、今朝の人身事故の影響で、ロマンスカーンが走る予定はまだわからないとの駅のアナウンス。そこで、小田原に出ることにしました。
 小田原の町を歩くのは20年ぶりになるでしょうか。駅から小田原城まで歩いてみました。ところが天守閣は耐震工事にまっさい中、しかし、その代わりに梅の香りがほんのり漂ってきて、春を堪能しました。桜もいいですが、私は梅の香りを好みます。城の中のお土産屋さんをのぞくと、戦国時代の武将たちのグッズが多く展示されています。関西弁をしゃべる女の子二人組みがいました。聞くともなしに聞こえてきたのですが、「あんたは誰が好き?」「三成やな」、石田三成がお好きなようです。
 
 まあ、そんなこんなの2泊3日の箱根と小田原の小旅行でした。

 如庵