骨董亭如庵 第85回 | michael-thのブログ

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 久しぶりのブログです。季節外れの暖かさに導かれ、また、先月、葛飾の骨董商のOさんから借りていた山田風太郎さんの「あと千回の晩めし」を返しにいくために、護国寺の骨董市をのぞきに行きました。
 護国寺の境内につくと、植木職人たちが、樹木の枯れ枝の伐採をあちらこちらでやっています。2月も中旬に入り、そろそろ春の足音が聞こえてくるようです。でも、インフルエンザも流行しています。私の職場でも何人かがインフルエンザで休んでいます。私は毎年10月か11月には予防接種を受けることにしていますので、インフルエンザへの免疫はできています。とはいえ、中南米で流行しているジカ熱や、おととしの夏の東京の代々木公園のデング熱でもわかるように、人類の歴史は、新たな病気との競争のようにも思います。まして、人々の行き来が頻繁になれば、モノも行き来するわけで、もともとその土地だけの風土病だったものが、世界的に流行するということはしばしばあります。典型的なのが梅毒でしょう。大航海時代に南米大陸の病気だったものが、あっと行く間に、世界中に広がっていきました。しかし、人やモノの交流はそうしたマイナスの面ばかりではなく、プラスの面もあります。今は厄介者あつかいされている煙草が世界中にもたらされましたし、ジャガイモやトマトも元は南米大陸が起源です。

 さて、護国寺の骨董市です。まずは、Oさんに山田風太郎さんの本をお返しし、ちょっと雑談。Oさんも読書家です。そうえいば昨日2月12日は、司馬遼太郎さんの没後20年の命日でしたね。
 ざっと見てまわりました。ちょっと気になったのは、備前焼と越前焼の高さ30センチから40センチほどの壺でした。お値段も手ごろではありましたが譲ってもらうのはやめました。一時期、壺に凝った時期がありました。なんの衒いもない実用一点ばりの壺。我が家のルーフバルコニーには、今でも5、6個ほど転がっています。
 さて、続いて目に入ったのが、新石器時代、今の中国東北部に栄えた紅山文化のヒスイなどの石を彫って動物の形にした装飾品です。これらは墳墓に祀ったもののようです。業者さんに聞いてみると、90歳をこえたコレクターさんからでたものだとのことです。新石器時代といえば、紀元前4700年から2900年と言いますから、今から5000年以上前になります。私の好きな青銅器よりも、もっと昔になりますが、その造形はむしろモダンです。デフォルメされた動物たちのフォルムが面白いのですが、お値段を聞くのもはばかられます。業者さんに断って、見たり触ったりするだけにしました。余談ながら、紅山文化は「こうさんぶんか」と言い、その命名者は、日本の人類学者の鳥居龍蔵さんです。彼の評伝「鳥居龍蔵伝」~アジアを踏破した人類学者~、著者は中薗英助さんです。1995年に出版され、第22回大佛次郎賞を受賞しています。

 そんなこんなで1時間ほど、骨董市をのぞきました。さて、境内を出て、帰ろうかと思いました。護国寺近辺では、豆大福の群林堂さんが有名ですが、甲月堂さんというお店もあります。こちらは明治20年創業といいますから、すでに100年以上たつ計算になります。店番をしているのは80歳をこえているのではとおぼしき女性です。茶室が多く、「大正名器観」の高橋箒庵ゆかりの護国寺ですから、こうした歴史のあるお店もあるのでしょう。もしかしたら、この店の先代や先々代は高橋箒庵さんと交流があったかもしれません。お土産がわりに利休饅頭を買いました。税込み1個110円なり、利休饅頭というのは茶の湯では、当たり前の茶菓子です。一口サイズのなんということもない饅頭です。しかし、なんということもない饅頭を作りあげるほうが大変です。利休饅頭というのは大島饅頭ともいうようですが、大島は奄美大島のこと。奄美大島でできる黒糖を使っていることに由来するそうです。一見、温泉饅頭にも似ていますが、利休饅頭と名乗っているように、その甘味は、より上品な感じがします。

如庵