今年も余すところ10日、街中ではクリスマスの飾りつけやイルミネーションとクリスマス商戦一色です。そうこうするうちに大晦日、そして新年を迎えるというのが、毎年、この時期の師走の風景ですね。
今朝、起きたときに、たまたま京都の豊国神社や六波羅蜜寺で求めた瓢箪が目に入りました。ヒマな私は、なぜ瓢箪なのかとふと疑問に思いました。師走で、皆さま、お忙しい時期かとは思いますが、瓢箪をめぐる無駄話をお話ししようと思います。
瓢箪は世界でも最古の栽培植物のひとつだそうです。原産地はアフリカ、乾燥した種は耐久性が強いこともあり、栽培が簡単なことから世界中に広まったようですが、人類発祥の地はアフリカですから、アフリカで誕生した人類が瓢箪の種を携えて、世界中に拡散していったとも考えられます。
さて、日本ですが、720年に成立した「日本書記」に瓢(ひさご)として登場します。そこには、仁徳天皇11年(323年)の時代、茨田堤を築く際に、水の神様に人身御供としてささげられそうになった男性が、瓢箪を使った頓智をきかせ、あやうく難を逃れたと記述されています。
また、瓢箪は容器としても世界各地で利用されています。軽くて丈夫なために、朝鮮半島では瓢箪を二つに割って、柄杓や食器として庶民の間では広く用いられました。私も学生時代に小さな瓢箪を二つ割りして、そこに朝鮮の両班の男女を描いたお土産を韓国人の友人からもらった記憶があります。また、庶民や野武士が瓢箪を腰に巻いて、水やお酒を入れる容器として使っているなどは、時代劇でもおなじみです。こうした容器としてんp瓢箪は世界各地で見られますし、南米ではマテ茶の茶器、また、インドネシアのイリアンジャヤやパプアニューギニアではペニスケースに使われています。さらに、ラテン音楽では、瓢箪の内側をくりぬき、外側には刻みを入れて、そこを棒でこすったり叩いたりして演奏するギロという楽器まであります。加工が簡単だということが最大の理由でしょう。
日本の昔話に、こんなお話があります。ある村に、信心深いおじいさんがいました。観音様にお参りにいったとき、大きな瓢箪がおじいさんのあとをついてきた。おじいさんがその瓢箪を拾い上げると、瓢箪の中から、ふたりの男の子が飛び出してきた、信心深いおじいさんは、観音様からの授かりものだと思い、二人の男の子を家に連れて帰った、おばあさんも喜んで、育てることにした。二人の男の子が言うには、瓢箪からは欲しいものが、なんでも出てくるという。富くじも大当たり、おじいさんとおばあさんは大喜び。そんなある日、欲張りの馬方がやってきて、瓢箪と馬を交換しようという。おじいさんはその瓢箪は観音さまからの授かりものだとは思ったが、二人の男の子は、あれはもうただの瓢箪だから、交換してもかまわないというので、おじいさんは瓢箪と馬を交換した。瓢箪を手にいれた馬方は、ひと儲けしようと殿様の前に行って、瓢箪から馬を出そうとしたが、これが出ない。馬方は殿様の大目玉をくらった。その一方で信心深いおじいさんとおばあさんは、ふたりの男の子と幸せにくらしそうな。
この昔話で注目すべきは、信心のこともさることながら、瓢箪でしょう。この昔話は「ひょうたん長者」とも「宝瓢」とも「夕顔長者」ともいわれ、東北地方に伝わるものだそうです。瓢箪は夕顔の変種でもありますが、ともかくも瓢箪が人々にとって奇妙な形をしていながらも、身近かな、そして便利なものだったから、こうした昔話が成立したのでしょう。
また、瓢箪といえば、豊臣秀吉の馬印である千成瓢箪が有名です。ですから秀吉を祀る京都の豊国神社では「出世開運」のお守としておいてあるのですが、どうも瓢箪をモチーフにした馬印は秀吉だけではないようです。多くの戦国武将が馬印や旗印としたようです。その理由は、言葉遊びのようですが、無病息災=無瓢(ひょう)息災とか三拍子=三瓢(ひょう)子そろって縁起がいいとかといったところからきているようですが、これはどうでしょうか。しかし、馬印や旗印に瓢箪が多く使用されているのは確かなようです。
では、六波羅蜜寺の瓢箪はどういうことなのかですが、六波羅蜜寺は963年に空也が創建したといわれています。六波羅は、平家の京都での本拠地となりましたし、鎌倉時代には朝廷を監視するために、鎌倉幕府が六波羅探題を置きました。六波羅蜜寺の瓢箪は「七福神」が描かれ、お守りとしています。六波羅蜜寺は西国三十三番札所の七番目の札所です。また、空也は踊り念仏(空也念仏)で知られる庶民第一の信仰を説きました。真言宗のお寺でもあります。つまり、国家鎮護としての仏教、貴族が来世で浄土へ行けるように願った仏教から、庶民を救うことを考えた鎌倉仏教の先駆者ともいえる空也の思いが瓢箪のお守りを置くようになったのではと推測するのです。
以上、「瓢箪から駒」とも言えない、我ながらつまらないお話しをしました。
如庵