骨董亭如庵 第40回 | michael-thのブログ

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 今夜は郷土玩具のことをお話ししましょう。元々、一人旅が好きだったこともあり、また、社会人になってからは出張も多く、そうした機会を利用しては、各地の郷土玩具を集めてきました。
 あるとき、郷土玩具の本を買って、私が日本各地の郷土玩具をどの程度、集めてきたか、チェックしてみました。そうすると、面白いことに中国・四国地方が、私の郷土玩具の空白地帯でした。中国・四国地方は行ったことがないわけではないのですが、どうも郷土玩具については、縁がないようです。
 
 私は午年です。それにちなんで馬をかたどった郷土玩具はなるべく集めるようにしてきました。
 そんな中で、福島の三春駒、宮城の木下駒、八戸の八幡駒を「日本三駒」というようです。
 もちろん、私はこの三駒をすべて持っています。
 まず、福島の三春駒が「日本三駒」のうち、最初に手にいれたものでした。中学生時代に福島を旅したときに手にいれたものです。昭和40年代です。そのころは、当時の国鉄、今のJRが「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンをやっていたように記憶しています。女性雑誌の「anan」や「nonnon」が創刊されたことから、そうした雑誌を購読する若い女性層、そうした女性たちをアンノン族といいましたが、をターゲットに、旅に出ませんかと呼びかけるものでした。高度成長も一段落し、生活にゆとりも出てきた時代です。日本を見直すことが新しいといったことも背景にあったのではないかと思います。
 私は城好きですので、まず白河城に行きました。今では立派な天守閣などが復元されたようですが、当時は石垣だけでした。石垣を見に行く中学生というのも、我ながら妙な中学生だなと今になって思います。さらに会津若松城を見学、最後にいったのが三春城だったと記憶しています。その三春の駅か何かの土産物コーナーで三春駒を買ったと記憶しています。そのころ、保育社のカラーブックスの「日本の郷土玩具」という本はもっていて、三春駒のことは知っていました。しかし、三春駒を作るデコ屋敷には行っていません。

 続いて、手にいれたのは宮城・仙台の木下駒でした。大学生時代の一人旅で、秋田の角館へいった帰りに、仙台に立ちより、木下駒を手にいれたのではないかと記憶しています。

 そして、八戸の八幡駒、これは、青森に行ったときです。たぶん、冬だったと記憶していますが、列車に乗っていて、列車が三沢駅に到着したら、体格のいい黒人男性が列車に乗ってきました。冬の東北に黒人男性、一瞬、不思議に思いましたが、よく考えれば、三沢にはアメリカ軍の三沢基地があります。たぶん、その黒人男性は三沢基地に勤務する軍人さんかなにかだったのでしょう。
 
 「日本三駒」のそれぞれの造形美は、まず完成度が高いのは三春駒でしょう。頭が上を向くように作っています。そして八幡駒は、頭が体に比べて小さめです。そのために太った馬のように見えます。木下駒は、やや寂しそうに見えます。三春駒のように、頭が上を向くように作っていないことからくる印象でしょうか。

 郷土玩具というネーミングはいつごろできたものなのでしょうか。「広辞苑」で調べてみると、大正以降だといいます。したがって、せいぜい100年ほどしかたっていないことになります。なにやら、白樺派あたりが名付けたようにも思いますが。民俗学の柳田国男の著書に「郷土生活の研究」という本があります。柳田国男は、農林官僚をへて、日本民俗学の創始者となりますが、若いときは、詩人でもありました。白樺派との付き合いもあったように記憶しています。その辺から、郷土玩具という名称がでてきたのではとも思いますが、また、これはこれで調べるべきテーマですね。
 
 さて、明日は日曜日、靖国神社の骨董市のでかけようと思っていますが、お天気が心配です。ただし、靖国の骨董市は、小雨決行です。多少の雨ならばやるという潔さというか心意気が好きです。どんなモノや人と出会えるか。

如庵