このところ、朝晩は肌寒いくらい、それに比べて、昼間は半袖でもいいくらい、そこで体調を崩して、風邪をひいている人が多いようです。また、夏の暑さで体力が落ちたせいもあるのかもしれませんが、季節の変わり目は体調を崩す人がおおいようですね。
さて、昨日は意味不明の文章を書いてしまいましたので、今夜は少し頑張ってみます。
「コンプラ瓶」という日本酒や醤油を海外に輸出するための容器はご存知かと思います。ヨーロッパだったかロシアの作家(名前は忘れましたが)が、書斎の窓に「コンプラ瓶」を一輪挿しとして使っていたという有名なエピソードがあります。私の京都時代には、弘法さんや天神さんの骨董市でしばしば見つけ、何本か持っています。作家のエピソードにちなんで私も窓辺に置いています。東京の骨董市ではあまりみかけませんが。それで、思い出しましたが、フランスあたりのスープボールがありますね。花の模様が描かれています。親しくなった西洋骨董を扱う若い業者と話していたら、これはスープ用というよりも、窓辺に置く装飾用ではないかというのです。つまり、ヨーロッパの冬は寒い。花はなかなか、手にはいりません。そこで、花を飾る代わりに、花柄模様のスープボールを飾ったのだというのです。なるほどなと思いました。もちろん、お茶の世界にもあるように、見立てというのはありますから、スープを飲む、食べるために使っもていいのではないでしょうか。またまた、スープボールで連想したのですが、30年ほど前に南仏を訪れたことがあります。焼物で有名な町、名前は忘れましたが、を訪れた際に買ったカフェオレ用のカップがあります。かなり大きいものですが、私は、カフェオレはあまり飲みませんので、冬などは、私が作ったミネストローネ・スープを飲むというか食べるときに使っています。
話をコンプラ瓶に戻しましょう。長崎にいったときにも、とある博物館でコンプラ瓶を見ましたが、もともとは長崎の波佐見焼だそうですね。そして、最近、Hさんという業者と親しくなりました。その方は九谷のいいものを数多くもっているのですが、たまたま、「くらわんか」のコレクターの方から、預かったという「くらわんか皿」がありました。「コンプラ瓶」も「食らわんか皿」も、骨董でいえば、いわば定番です。「くらわんか」は、江戸時代、大坂の枚方あたりで、淀川の船便を利用する人たちに土地の人たちがメシや煮しめなどを売っていたそうですが、その容器だったそうですね。お客に売るときの掛け声が「メシ、食らわんか」だったので、「くらわんか」とよぶようになったそうです。まあ、今でいえばファストフードか駅弁かというところでしょうか。その容器ですから、大量生産されたことでしょう。この「くらわんか皿」も波佐見焼だと聞いています。つまり、波佐見焼にとっては、「コンプラ瓶」や「くらわんか」は大量生産、つまりヒット商品だったことになります。
「コンプラ瓶」も「くらわんか」も、磁器としては下手物に分類されてしまうのでしょうが、「くらわんか」の模様にしても、「コンプラ瓶」に書かれたアルファベットの文字にしても、いい味を出していると思います。「食らわんか」は使い捨てだったのでしょうか。また、「コンプラ瓶」は酒や醤油を輸出するための容器だったとすると、そのあとはどうなったのでしょうか。時代的には幕末から明治の初期くらいになるのではないでしょうか。庶民が磁器の茶碗を使うようになるのは、江戸もかなりくだった時代かと思います。また、「コンプラ瓶」は、たぶん、ガラス容器が大量生産されるようになると、とってかわられたのではないでしょうか。
私の勉強不足かもしれませんが、骨董の世界では定番ともいえる「コンプラ瓶」「くらわんか」でも、分からないことが多いものですね。
それで、思いだしましたが、今は旅に出たときには駅弁にペットボトルのお茶といったところでしょうが、30、40年ほど前までは、ビニール容器にお茶が入っていたものです。もう少し前は、小型の土瓶でした。ある骨董市で戦前の旅先で求める、お茶をいれる土瓶を見ましたが、結構なお値段でした。また、駅弁の横綱格ともいえる横川の釜めしですが、あの容器は益子焼です。いつだったか、中央高速のインターチェンジで、横川の釜めしを販売しているのを見て、驚きました。長野新幹線の開通で、横川の釜めしを売っていた駅や路線は廃止になったわけですが、やはりおいしいものは、生き残るのですね。私も即、買い求めました。さて、そこで、益子焼の釜はどうしたかですが、持って帰りました。50年後、100年後には、「くらわんか」になっているかもしれませんし、有田焼の容器に入ったカレーが売れたり、明石のタコメシだったかと思いますが、これも面白い焼物に入っていました。
つまり、当たり前にあると思っていたものが、いつのまにかなくなってしまい、希少価値をもつという可能性はあるかもしれません。同じ益子焼で、毎日、土瓶に絵付けをしていた皆川マスさんの話が有名ですが、これまた、今では骨董として珍重されているのですから。なお、マスさんは、どなたかに「絵付けは楽しいですか?」と尋ねられ、「なにが楽しいものか。仕事としてやっている」と答えたとか答えなかったとか。間違いだったら、マスさんおよび関係者のみなさん、ご免なさい。
今夜はわかったようなわからないような、しかもやや生臭い話になってしまいましたかね。
如庵