1995年1月17日に発生した『阪神・淡路大震災』までは、『ガラケー』も『スマホ』も普及していなかった。誰も持っていなかった。
携帯電話が数十万円した、時代である。
当時は『固定電話』か『衛星電話』、若干名の『携帯電話(高級品)』のみで、ほとんどの営業マンは『ポケベル』を携帯していた。電通の伯父が持っていた『鞄型の衛星電話』を、珍しく見ていた覚えがある。
『阪神・淡路大震災』以降、何処でも、誰でも、何時でも電話がつながるモノとして『携帯電話』が飛躍的に普及した。『ガラケー時代』の到来である。
『ガラケー』の個別化手段として、『着うた』『着メロ』を利用していた。
たとえ有料であろうとも、私の『推し歌手』『推し歌』を明確化する手段であり、私という『個性』を表現する方法でした。