彼が入院したすぐに私は自分の上司に連絡をした。
しかし、私は単なる彼女であって奥さんではない。
立場は彼女なのだけど、実際には同居をしていて彼の身内は近くに居ないことからすべてのことは私がしていた。その一般的な認識と、実際に私が行っていた範囲の乖離もあり、なんと報告すれば良いのか非常に戸惑った。私は、簡潔に付き合っている彼の病状の事実と、緊急の時は彼を優先するので今後迷惑をかける可能性がある旨を上司に伝えた。

ラインで報告したけれど上司からの返信は無かった。
返事、しづらいよなー、と思っていたら次の日に私は上司に呼び出されて一言告げられる。
「何か困ったことがあったら相談してな。全面的に協力するから。俺からはそれだけ。」一言、ほんの5分の面談だった。元々転職したてであったにもかかわらず良く面倒をみてくれていた上司。まだ付き合いの短い私のことを信頼してくれてその後も全面的に私の気持ちを1番に考えてくれた。

私は彼が入院してから毎日彼の病院に行った。多い日は日に3度。早朝、お昼、夜。特にお昼の時間帯はいつもなら会社のチームのみんなと昼食をとっていたのを電車の時間を見計らい、仲間の誘いをあやふやに断り、全て彼と過ごす時間に費やしていた。会社から病院まで電車を降りてから病室まで走って15分。つまり往復30分。会社で与えられるお昼の時間は1時間。残りたった30分の時間を昼食と彼と過ごす時間に費やしていた。だからこの時期は毎日がコンビニのご飯で病室で食べていた。信じられないほど本当に「毎日」続けたけれど私たちにとってその時間は短すぎた。1分1秒が惜しかった。

私は上司以外の人には一切このことは秘密にしていた。なので突然始まった私の奇怪な行動は会社の皆を多分困惑させたと思う。仲良く皆でお昼ご飯を食べに外に出る仲だったのに、その日を境にお昼に誘われても何かと理由をつけて断る私。そしてなかなか帰ってこない。夜も定時の19時にいったん外出をして20時半頃にまた会社に帰ってくる(病院の面会時間は20時までだった)。

残業が当たり前の中の風潮の職場で定時に帰ることも多くなった。
会社内では徐々に私の奇怪な行動に疑問を抱く人が増えていった。私が定時に帰る時「すごい定時だね。」と言われることもあれば、日中になかなか戻ってこない私に対して「みっちーはすぐに行方不明になるよね」と噂されることもしばしばと多くなっていった。(※誤解のないようにだけれども悪意のある批判的な噂ではなく、皆は単に疑問で何があるのだろうと思っていただけだと思う。それを私が説明も出来ないからびくびくしていただけ。「すごい定時だね」も悪意がある訳ではなく単純な感想で、尚かつ「良いじゃん!」という意味も含まれていたのだけど、私がびくびく気になってしまっていただけ。)上司から許可を得ているとはいえ、それは公の許可ではなかった。私は、元々八方美人気質があるので余計に周りからの評価が気になって非常に辛かったのを覚えている。

それでも私は彼と過ごす数十分の時間の方が大切だった。

私は彼が入院すると決まったときに心に決めていたことがある。これから病気と戦う上で寂しがりやで疑り深い彼にとって私の存在が逆に心の負担になってしまうことは大いに考えられた。けれどそれだけはあってはならないと私は思っていた。もしも私の存在が彼にとって結果的に心の負担になるのであれば私は彼のために別れなければならない。別れるべきだ。だけど私はそれを選べなかった。わかれることができないのであれば、腹をくくって彼に尽くすと私は決めた。

早く会社を出る分、仕事は家でやった。「持続可能なお見舞い生活」を成立させるためには決して仕事に支障はきたしてはいけなかった。この生活は長期戦なのだ。忙しいのなんてへっちゃらだった。自分の時間なんて無くてよかった。ただ、1日に何度も病院と会社の往復をしているということは、私にとって日常と非日常の往復をしているということえでその切り替えが大変だった。意識が朦朧としている彼の手を握った数分前にはPCのキーボードを無表情でたたいている私が居た。表情を固めていないと涙が溢れてきそうになるから、無心で仕事をした。

深夜、病院帰り、赤羽橋の駅に向かう通り道で光り輝く東京タワーをみつめながら、この東京タワーをこの場所で2人で見れる日はくるのだろうかと思い2人で見れる日がくることを願いながら通り過ぎていった。東京タワーを見ると今でもその記憶が蘇ってくる。
沈んだ私の心と裏腹にキラキラキラキラと輝き続ける東京タワー。なんだか悔しいけどどんなに辛くても「きれいだな」と思ってしまいそれがなんだかやるせなかった。
彼が緊急入院をした日、こまめに連絡をくれる彼からプツンと連絡が途絶えた。
私は心配で何度か電話をしたけれどきっと病院の診察やらなにやらで忙しいの
だろうと思っていた。(実際彼は緊急手術に緊急入院と連絡なんて出来る状態ではなかった)その日の夜、ようやくかかってきた彼からの着信に出ると、彼は怒り口調で話し始めた。

「僕は病院に行っていて、手術やら入院手続きやらでこまめに連絡を取れないときもある。それなのに、ちょっと連絡がとれなくなっただけで、Mがそんなにオロオロしたら、、、そこまでMのフォローできないよ。」

私はその時は思い返せば呑気すぎるくらいな構えだったので彼が私のどこから「オロオロ」を感じ取ったのかは分からないけど(強いて言えば連絡無精の私が2回くらい着信を残していたからかもしれない。)彼は私が思っている以上に私のことを「自分が守らなくては」と強い責任感を持っていたのと、私が想像する以上に彼の状況が「ヤバいんだ」ということが伝わってきた。それにしても彼はいつだって自分のことよりも私のことを心配する。私は怒られていたけれど、こんな大変な局面でも私の方を気にかける彼のことを思い、違う意味で胸が苦しくなった。

その日はあまりに深夜だったので次の日の朝一番に彼の荷物をまとめて病院へ向かった。
通常の面会時間ではないので受付では「家族です」と名乗って病室を聞き足早に向かった。

病室に入り、彼の顔を見た瞬間に息をのんでしまった。事前に聞いていたものの、元から晴れ上がっていた右目のまぶたに加えて、生検をとるために切った左首元もぶっくりと腫れ上がっていた。顔中がはれながら疲れきってむすっとしている彼。
元々、目が腫れている時から「自分の本当の顔はこんな顔じゃない」とやたら容姿を気にしていた彼。学生時代にはファンクラブが出来るほどに自他共に認めるイケメンだったらしいので目の腫れに加えた左首元から広がる顔中の腫れは、本人もショックだろうと思い言葉を選びながら会話をしたのを覚えている。

彼は、私が入院当日の深夜ではなく翌日の朝にお見舞いに来たことがちょっと気に食わなかったらしく、最初はむすっとしていたけど、話していくうちに段々機嫌を取り戻してきて診断の結果や昨夜起こった一連のことをちょっと興奮しながら教えてくれた。

当初は入院している病院とは別の病院で、すぐに生検のための手術と入院が必要だと診察された。しかしその病院ではベッドが空いておらず金額の高い個室でしか入院できないとのことで、別の病院を紹介されたという。元々病院事態も嫌いだったことに加えてたらい回しにされ続けてきたことも重なり病院に対して不信感が強かった彼はそのとき「入院拒否された」と感じたそうだ。自分はもう末期で手の尽くしようがないから拒否されたのだと思ったそうだ。ただ、診察室を出るときにそのお医者様が深くお辞儀をして「うちでみることが出来なくて本当に申し訳ない。だけど紹介先の先生は自分も良く知っていてとても信頼しているところだから」と言い、その行動、台詞にとても誠意を感じて、彼は次の病院の先生に会うことが出来たのだと言った。

彼は人が大好きなくせにとても人に対して不信感を抱きやすい性格だった。そして一度不信感を抱いてしまうと何があってもその人に対する思考がマイナスにいきがちになる。逆にいうと一度信頼すると、多少癖のある人でも全てをひっくるめて大好きになる。ここでもし先生が信頼できなかったら彼は自分が一刻を争う末期だと知っても病院を変えただろう。自分の命、自分の納得できる人にしか預けられない。彼はそう言う人だった。(だから事実最初に検査をしようとした国立がんセンターでの検査入院を拒否しているわけだし)だからこのことはとても重要なことだった。

病院を移り、早速入院。しかし状況は一刻を争うということで、すぐに生検のための手術となった。しかし通常手術室というのは予約をするものだ。今の今で手術室が確保できるはずがない。加えて診察は内科で手術を行うのは外科。緊急で外科を呼び、手術は手術室の空きが無いので病院の入院するベッドの上で行われたそうだ。(個室ではなく6人ほど入っている部屋で)私は病院の組織に詳しい訳じゃないから推測でしかないけれど、こういう対応は異例なのではないかと思う。主治医の先生の迅速な判断と恐らく通常で考えたら無理矢理な(?)けれども非常に柔軟な人の動かし方に、彼はいたく感動していた。加えて生検の手術でも無事成功した後に拍手があがったそうだ。「ドラマみたいだったよ。」と彼は目を輝かせながら語った。柔軟かつ迅速でチームワークが強く、優しい病院の人たちに出会いは彼の心を安心させた。私は報告を聞いていてそれが何より本当に嬉しかった。ああ、よかった。ここなら大丈夫だ。そう思った。

「良い先生」と「信頼できる先生」は違うから、彼のような癖のある人に合う先生はなかなかいないんじゃないかと思う。私たちは本当に良い病院、そして彼にとって信頼できる先生に出会えたと思っている。本当にラッキーでありがたかった。

入院初日、私も彼も不安が大きかったし怖かったけどこの病院だったから前向きな気持ちになれたのだと思う。
告知を受けてから私が思っていたのは「彼のことはなるべく秘密にしておかなきゃ」だった。
彼の友達とか元々の状況を知っている人は良いけれど、私の友人はほとんどの人が彼のことを知らなかった。だから、何も知らない私の友人には秘密にしておかなきゃと思った。話されて困る話をしても相手に悪いし、解決を誰かに求めるような問題でもないと思っていた。

だから、事情を知らない人にはなるべく自分からはその話をしなかったし、つっこんだ話になっても嘘をついて誤魔化した。今までのろけ話ばかり周囲に聞かせてたことも重なって、彼との交際を聞かれれば笑顔でノロケ話をした。彼が元気なときを思い出しながら。


それが正しくて、それが美しくて、それが強いことだと思ってた。


けれどもそんな私の見栄っ張りは最初の最初でいとも簡単に無くなってしまう。
私には小学校からの旧友がいるのだけれど、何も知らないその彼女が告知を受けて憔悴しきっている私にある日突然メールをしてきた。たった一言。

「大丈夫?」

それは単なる「元気?」の言い換えの台詞だったのかもしれない。でも私の心にはこの一言がすごく色んな意味でショッキングだった。文字を見た瞬間に「私、大丈夫じゃない」って分かってしまったから。

私はちょっと悩みながらも「電話していい?」と返信をうち、初めて何も知らない人を自分から「巻き込んだ」。告知を受けてから初めて人前で泣いたのはその時だったと思う。私に「人に話すことの勇気」(気持ちをさらけ出すことの勇気)を踏み出させてくれたのは彼女だと思ってる。

その後、私は積極的に(といっても人は選んだけれど)何も知らなかった人にも相談し、話をすることで自分自身を取り戻していくことが出来た。(その節は心当たりのある皆さんありがとうございました。)私はあの1年ちょっとをいずれにしても1人では乗り切れなかった。だから最初のうちから1人で溜め込むことを放棄することができて良かったと思う。



余談だけど、「大丈夫?」と聞いてきた彼女は実はその数週間前も「最近大丈夫?何か変わったことあった?」と聞いてきている。(その時は平気を装い「何で?全然大丈夫だよ~」と答えている)後日「事情をしらないのにどうしてそんなに私のことを心配してたの?」と聞いたら

「だって、お前は、大変な時ほど一人で抱え込んで連絡つかなくなるから、心配だったんだよ。」

とのこと。

自分では人知れず頑張ってるつもりでいたけれど友人からしたら余裕が無いのがバレバレだったようです。早めにギブアップしておいてよかったよかった。