彼が緊急入院をして、恐らく癌だという報告をうけた夜。
私は何を考え、どうやって夜を過ごしたのかあんまり覚えていない。

ただ、翌日朝一で病院に行って着替えやらなんやらを渡して彼と話した後、会社へ出勤した。会社で何も知らない上司が「昨日どうだったー?」と私に話しかけ(前日私は大きな案件の打ち合わせに行っていた)上司が一体何のことを言っているのか分からず少し止まってしまった。

あまりに「日常」が違和感だった。
私にとってあの夜はとてつもなく長かった。打ち合わせに行ったことなんてすっかり忘れていた。

それから数週間後、生検の結果がわかる、いわゆる「告知」の日。
病院の狭い会議室のような部屋に、私と彼と、彼のご両親が座り、ホワイトボードの前に3人ほどの先生がたった。主治医の先生は妙な緊張感もなく(多分わざと)私たちがそろうのをみると早口でしゃべり始めた。

「検査の結果、おそらく涙腺癌です。選択肢は2つね。化学療法をするか、緩和ケアにうつるか。少しでも寿命を延ばすなら化学療法をお勧めしますね。」

「治らないんですか?」

「治らないですね。寛解はないです。もちろん化学療法を選ぶのであれば出来る限りのことはするつもりですが。」

「化学療法をした場合、余命は?」

「人にもよりますが、、上手く言った人で最長3年って言う人は居ましたね、過去に。何もしなかったらおそらく2週間くらいですね。」

その他にも、色々聞いた気がするけど、私がした質問と先生の答えはこんな感じだった気がする。「寛解はない。」「余命は2週間から3年」それだけが私の頭の中をぐるぐると回っていた。

「質問が無いなら終わりにしますよ」

という先生の声で、私たちは席を立ち、病室に向かった。
廊下を呆然と歩きながら病室に戻る道中、助手の女の先生(緩和ケア科の先生)が心配そうに私の顔を覗き込んだ。優しさが嬉しく、そして残酷な現状を物語っているようで辛かった。これが「告知」ってやつなのか。


彼は癌だ。しかもいわゆる末期癌だ。
もう、治らない。
余命は数ヶ月が妥当?
ぐるぐるぐるぐるいろんな感情がうごめいていた。

病院からの帰り、最寄り駅の改札を通る時に左端を確認する自分に気づく。
私よりいつも帰りが早い彼は改札まで私を迎えにきていつもそこで待ってくれていた。
もちろんそこに彼はいるはずはない。
彼の居ない広い家で、一人で家の電気をつけて、一人でお風呂に入った。
私は無表情に、感情を押し殺そうとしたけど、押し寄せる色んな感情を止めることができなかった。

ふいに、こみ上げてくるものを吐き出すように泣き叫んだ。
「生きていてくれるだけでいいのに。」

20歳近く年上、バツ沢山、子供いる。
そんなこと、もうどうでもいい。生きていてくれればいい。ただ生きてほしい。私と一緒に明るい未来を作るって約束したじゃん。これから2人で幸せになろうって約束したじゃん。なのにどうして?

一人で泣いて一人で奇声を発した。

とにかく悲しくて苦しくて、自分の体の中に感情を押しとどめておくことが出来なかった。ただ、ただ、泣いた。

あまりに辛すぎる現実だった。
彼の癌がみつかった時は、すでにもう全身に転移し
彼の脊髄を圧迫し、彼から歩く自由を奪い去った後だった。

もちろん前兆が無かった訳じゃない。
前兆が無いどころか、彼は私と出会った頃から右まぶたの上がはれていてそのうちに、肋骨が非常に痛むと言い出していた。

そんな状態で病院に行かなかったのかと言えばそれも違う。
彼は私と付き合い始めてから「ようやく自分の心配が出来るようになった」といいながら、私たちの未来を作るために、病院に通い始めた。

最初に言ったのは「国立癌センター」
でも、彼は最終的にここで治療を受けることを拒否する。
国立癌センターで彼は生検の為にはれているまぶたの上を切ると言われた。
まだ悪性かどうかも何も分かっていない段階で顔にメスを入れるというのだ。
しかも緊急なのかと思いきや、手術は1ヶ月以上後で、彼は入院する部屋のタイプをどうするかなんていうのんきな話だけをされて帰ってきたのだった。

「まぶたを切る」とろくな説明もなく言われた彼は非常に病院に、そして先生に不信感を抱いた。そしてその病院で入院した癌患者のブログやら何やら色々とみて考えた結果、その病院に入院するのをやめにした。大きな決断だったと思う。

このことが、彼の癌の発見を遅らせた。
でも私たちはそのことを1度も後悔したことはなかった。
むしろ後々に、ああ良かったと何度も思った。
彼の性格を考えても、命を信頼できない人に預けることは出来なかった。

彼は度々癌センターでMRIの検査等も受けていたので、セカンドオピニオンを聞くためにその資料を受け渡してもらうように頼んでいたのだけれど、その対応も非常に病院側は遅く、更に先生からの招待状には彼が非常に態度の悪い患者(入院をドタキャンする等)とかなり劣悪なことを書かれていたそうだ。

そんなこんなをしている間、私たちは漢方に手を出してみたり、鍼に手を出してみたりお灸をしてみたり、ありとあらゆる東洋医学も試した。

東洋医学でも西洋医学でも、どこへ行っても何をしてもこれと言った原因が分からずに私たちはたらい回しにされて、そうして行き着いたのが整形外科だった。

そこで彼はレントゲンをとり「肋骨の骨折」という診断をされた。
「ああよかったね。大きな病気じゃなかったんだね」と私たちは胸を撫で下ろし安心した。「癌だったら別れるからね」と何度も言っていた彼は心底ホッとしたようだった。

その肋骨の骨折が、癌によるものだとはそのときは知る由もなかったから。

肋骨の骨折は、治るのが通常よりも何倍も遅かった。
そして彼の肋骨の痛みは日に日に激しくなり、ついには彼は痛みを和らげるために夜寝るときにお風呂に入って眠るほどだった。

それでも彼はネットで調べ肋骨の骨折ってそういうものらしいと納得して痛みに耐えていた。

私は、肋骨の骨折の痛みってそんなに激しいものなのだろうか、、と思いながらも
骨折自体したことがなかった私には想像もできずに「そういうものなのかもしれない」と思っていた。

そんな私も、いよいよこれはおかしいと思ったのが、彼の足が動かなくなり始めた前兆だった。忘れもしない。
あれは、彼が金曜日に「自転車で転んだ」と報告をしてきた時だった。
なんだか足がちょっと上手く動かなくて転んでしまったのだと。

そして土日になんだか足がしびれるんだよね、と私に言ってきた。

私は原因は全く分からなかったけれどその話を聞いて、ただ「一刻を争う」ということだけは分かった。

だから「明日(月曜日)にでもすぐに病院に行って」といつになく強気に言ったのを覚えている。そのとき、彼は彼で総合病院にいく準備はしていた。国立癌センターや整形外科やいろんな所に散らばっていた彼の資料をちょうど1つにまとめられるのが水曜日だった。だから病院に行けるのは木曜日。

私は「それだと遅い」と強気に言い、彼は「どうせまた行ってもたらい回しにされるだけか、検査をして終わりだから、判断できる資料を持っていかないと意味がない」と言い張った。

私も負けじと神経が戻らなくなる可能性があるんだよ、と言って、その日は軽く喧嘩になった。そして、私は、私は結局折れてしまった。
資料を整理して木曜日まで病院に行かないことを許してしまった。

その短い間に、彼の脊髄はどんどん圧迫されて彼が木曜日に病院に行ったときは私も付き添ったのだけど、彼はたっていることが出来なくなり車いすを借りて院内を回った。
そして、そのままその日の診察で緊急手術に緊急入院。
彼の足は動かなくなっていた。


私が無理にでも月曜日に連れて行けば彼の足はここまでならなかったんじゃないか。
どうして、私はそうしなかったのか、私しかできなかったのに、どうして。
私はそのとき自分を責めようとした。でもなぜか、そのときは自分を責めてはいけない気がして無理矢理でも「あれは仕方なかった。だって2人で決めたんだもん。いずれにしても月曜日いってもまた木曜日ってなってたんだよ。」と思うことにした。
そう私が思わないと、彼も「みこの言う通りにすれば良かったのかもしれない」と後悔に苦しむかもしれない。2人で決めた以上、後悔してはいけない。「私のせい」なんて私は思っちゃいけないんだと歯を食いしばった。そして彼もまた、足が動かなくなったことを決して時間のせいにはしなかった。

でも、かっこつけたことをいいながらも本当は思い出すと思ってしまうときもある。足がもっと自由だったらもっと体力だって衰えなかったはず。
そうしたら、もっと生きることが出来たんじゃないかって。自分のことを責めることも後悔もしないけど、ふとそう思ってしまうときがある。

きっと私だけじゃない、色んな人がそうやって過去を振り返って「あのとき」って思うんだろう。私も言い出したらそれだけじゃなくてきりがないくらい沢山の「あのとき」がある。

自分を責めない、と、私は私に言い聞かせる。
だって彼はそれを全く望んでないから。

反省は必要だけど、後悔はしない。
一心に幸せに向かって彼が生きたように、私も前を向いて強く生きたいと思う。
彼は私と付き合い始めた当初、非常に精神を病んでいたように見えた。

私と彼が付き合い始めたのは彼との子供を持つ昔の奥さんが決定的に彼の元から出て行った直後だった。彼は奥さんを愛していたし何より結婚や自分の家庭を持つということに強いあこがれを抱いていた人だった。一度は離婚をしたもののその人ともう一度やり直そうと、彼なりの最大限の努力をしたそうだ。

それでも、元奥さんが選んだのは彼ではなかった。

そのとき彼が抱いた絶望はとても私には想像しきれないものだった。
彼は心の膿を吐き出すように1日に何度も元奥さんの話をした。何度も同じエピソードを聞いた。悲しいことにそれはとても幸せとは程遠いエピソードだった。彼はいろんな思いを恨みや憎悪という感情に変えることでなんとか自身を保っているように見えた。

私は毎日まるでカウンセラーのように、ただ、ただ、彼の話を聞いた。たとえそのエピソードを聞くのが10回目だとしても、20回目だったとしても。

加えて彼は、よく夢にうなされていた。
付き合いはじめの頃は一緒に寝ていると突然叫んで飛び起きることも1度や2度ではなかった。寝ながら、何かに向かって怒鳴り散らすことも多かった。

ある日、叫んで、飛び起きた彼に「何の夢を見たの?」と聞くと、夢の中で私がどこかへ行ってしまう夢を見たのだという。遠ざかる私を彼は止めようと必死で声をかける。彼の声で振り返った私は、私ではなくて元奥さんだったそうだ。

またある日、夜中に私がトイレに起きた時、私は彼を起こさないようにそっと布団から出た。
寝室に戻る前に彼が私を呼ぶ声が聞こえたので小走りで戻ると彼がうろたえた顔をして私を待っていた。

「トイレいってた!ごめんね?起こしちゃったかな?」私がそう言うと、彼は「なんだ。びっくりした。起きたらみこが居なくなってたから、どこかへ行っちゃったのかと思った。起こすのなんて気にしないから、どこかに行くときは声をかけて。心臓に悪い。」安心したのか、おろおろした子犬のような顔から、ちょっと怒った風にそう答えた。

「夜中に目が覚めてしまった時に、隣で寝ているMをみるととても安心して眠ることができるんだ。」彼はよくそんな風なことも言っていた。

彼は「別れ」への恐怖が異常に強く、こういうエピソードは沢山あって、その度に私は胸に込み上げてくるものをこらえていた。そしてことあるごとに私は彼の手をとって、「大丈夫、私はここに居るからね。私はどこかに行ったりしないから。」と何度も言ったものだった。

私は一度心に決めたことは意固地になってでもやるタイプなのだけど、今思い起こせばこういう度重なるエピソードが積み重なって、私が同じように彼を傷つけることは絶対にあってはならないと、私が彼と一緒にいようと、そう強く思うようになったんだと思う。

まだ彼の病気が分かる前の話だけど、私はすでにこの時から彼にいろんな意味でとことん付き合う決意をしていたのでした。