自分の意見を言うという事。 | 『たとえば鳩のように』

『たとえば鳩のように』

翼があるのに飛ばず、横断歩道を走り抜ける鳩のように、無駄に人生全力疾走。

今の私のバイト先には朝礼と終礼があります。

前のお店では、どんなに店長に申し出てもやらなかかったのですよ。
勤務時間が長すぎて、人が集まる時間がないから、と。

その内まあ、私もそんなに出勤してないし…と諦めちゃいましたが。

1対1で話をする機会があれば良いではないか、という考えのようだったけど、どーも腑に落ちませんでした。

だからよくケンカ売ったなーゴメンナサイ

んで。

今の店に異動して…そうなんだよ、これだよ!と。


みんなの問題をみんなで考えなきゃいけないんだよね。

1対1だと『店長に反抗してるワタクシ』という絵になってる気がして…いや反抗してるけど(笑)あせる

誰が正しい、どうすれば最良か、なんてなー状況によって変わるし、一人の視点でなんか決められないんだから、こうやって話し合いが必要だと思うんです。

働くモチベーションも持てるしね。
朝礼は今日どう動くかを意識できるし、終礼は今日の仕事を省みれる。

集礼をしなきゃ意識できないのは情けないけど、ルーティン化するよりよっぽどいい。

ま、集礼がルーティン化されたら意味ないけど汗


そして、自分の意見を伝える場があるっていい。

スタッフ同士で不満を言いあってるだけじゃ、ただの愚痴大会。

愚痴も悪かないのですよ。
改善しようのない問題もあるだろうから、愚痴言ってスッキリしてお仕事に励むのも必要だと。

でも、本当に改善できない?
やろうとしてないだけでしょ?
あんた、楽をとったね?


と自問するわけですよ。

だから…
ケンカを売るわけです(笑)


それを、ケンカ上等ではなく、意見として言える場があるのは幸せです。
鼻息もそんなに荒げなくていいわけですから( ̄・・ ̄)DASH!


ただ…いかんせん、そーゆー場に慣れてないので、自分の意見を言うのが下手で下手クソで(^_^;)

集礼後に「あ…あれ言いそびれた」とか「あの言い方はないな」とか思うわけです。

こちらもこれから勉強だな~と。
日々是修行だな~と。

私もまだまだですな~と思う中年・36歳の師走でございます