何の話をしていたかは思い出せないけど、妻とそれなりに深刻な話をしていたと思われるときに、次男のそうちゃんが「苦しみって何?」と唐突に聞いてきて、キョトンとしてしまった。
 
み「え、えーっと、そうちゃんは苦しんだことがないの?」
 
そ「うーん…。はーちゃん(長男のはじめのこと)が攻撃してきたときは嫌やけど」
 
み「それ。それが苦しみ」
 
そ「ふーん」
 
ー--
 
 
僕が聞いちゃったから彼は「はーちゃんが攻撃してきたときは嫌やけど」という答えを絞り出してきたけど、そういう客観的な事実は実際どうでもよくて、彼の口から「苦しみって何?」っていう言葉が出てきたことが、僕は純粋に嬉しかった。だって、苦しい経験をしていたら、絶対そんな言葉出てこないじゃん。彼はたぶん、本当に苦しんだことがないんだよ。
 
まだ、たかが彼が生まれて8年だけど、ここまでそういう子育てができていて、本当に嬉しく思う。彼は今、‟天国”に生きている。
 
 
僕がその昔、児童養護施設(旧孤児院。虐待などの理由で親が育てられなくなった子どもたちを預かる施設)で働いていたとき、子どもたちが重荷に感じるようなルールがたくさんあった。僕はそういうのが大嫌いで、あるとき上司に聞いてみた。「なんでこんなに厳しいルールを強いてるんですか?あまりにも理不尽じゃないですか?」…。そしたら上司からこういう答えが返ってきた。「樋口くん、この世は理不尽なんだよ。厳しいんだよ。だから、今からその厳しさに慣れさせておかないと。この子たちのためにも」…
 
 
この児童養護施設に限ったことではなく、こういう言説はこの世に溢れかえっている。「厳しい世の中で生き抜いていくために、ある程度厳しくしてやらないと…」という。「この世は厳しい」、「人生は苦難の連続だ」という前提に基づく考え方だ。
 
本当にそうか?僕は疑問に思う。この世は本当に厳しいのだろうか?
 
 
僕は全然そうは思わない。
朝起きたら、太陽さんが僕の細胞の一つ一つを目覚めさせてくれる。
隣には愛すべき家族が眠っている。
植物たちが酸素を提供してくれている。
鳥たちが唄っている。
家がある。
ここにいる。…
 
 
これ以上に求めることがあるだろうか?「この世は‟天国”以外の何物でもない」-これが僕の考えだ。光・空気・食物・温もり・身体…。僕たちにはすでにすべてが与えられている。僕たちは地球という名の天国に生きている。
 
すべての子どもたちが心からそう思えたら・・・。
 
 

 
自然と遊ぶ。
自由に遊ぶ。
 
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