初めての入院・手術の記録~病院食の思い出と共に~
こんにちは、みつきんです。
この名前で、遡ればホームページビルダーで自分のサイトを作っていた頃から、やってきているのですが。
結婚して、なかなか名乗る機会が自然と減り。
20年近くお付き合いしている名前だけど、今となっては新鮮さすら感じる今日この頃。
ここでは、旧姓をもじった「みつきん」で居続けようと思う。
それが、なんとなく、親孝行にもなると勝手に思っている。
(女系一家の宿命、わたしの代で終わる)
それはさておき、今回は前回もちらっと述べた、子宮筋腫についてのお話。
決して注意喚起ではなく、軽いタッチでつらつらと書いていくものなので、重くならずに、一個人の経験と感想として読んでほしい。
2019年5月まで遡る。
不正出血が最近多いな、また子宮ポリープかな、と思い
3年ぶりくらいに婦人科へ行った。
前回は日帰り手術で解決したから、今回もそんな感じだろうと高を括っていた。
それがまさか、子宮筋腫、9センチ大
担当したドクターもびっくり。しかもチョコレート嚢胞のおまけ付き。
そりゃあ、外来で片付くはずはない。
わたしはこれから起こるであろう、入院・手術の流れを頭に思い描いた。
まず、モノ自体が大きく成長しすぎていた。
そのため、ホルモン治療を先に行う必要に迫られた。
もちろん、断る理由はなく、二つ返事で治療を始めたのだが、これが想像以上の苦痛を伴った。
女性ホルモンを抑えて筋腫や嚢胞の成長を止めて、なんなら縮小を期待する治療。
つまり、意図的に更年期障害をおこさせる処置。
もちろん、更年期障害がどんな症状を伴うかは大まかに理解はしていた。
でもあくまで机上の話。経験なんぞしたことはない。
内服薬から開始し、一番最初に出た症状はホットフラッシュであった。
軽度なものからスタートはしたが、内服期間が延びていくのと比例し、症状は明らかに悪化の一途を辿った。
付随する動悸、倦怠感。
これが更年期障害か…甘く見ていた…と悶絶する日々。
手術予定の3ヶ月ほど前から注射薬に切り替わり、より症状は重くなった。
仕事が忙しい時期も重なり、疲れは抜けず、鬱のような症状も出現。物忘れも激しくなった。
(あくまで、わたしの場合です)
家ではやっとありつけた食事の最中に、気絶するように寝ることもあった。
想像を絶したホルモン治療を終え、手術中の輸血のために行う自己血採取も乗り切り…
2020年2月
時は来た
入院1日目夜の食事。
今までの病院食の常識を覆してくるメニュー。
…イカ焼きが出る、だと?!?!
意気揚々と入院(大げさ
入院前にパンフレットを貰い、読んでいたからなんとなく入院の流れは理解できていた。
入院した病院は、シャワーは自分で予約をとり、浴びるシステム。
結構夜遅くまでシャワーを使わせてもらえた。
シャンプー・コンディショナーは用意されており、自由に使える。
もちろん、ドライヤーもついている。
入院患者数もそれほど多くないため、他の患者さんと被ることはほぼなかった。
わたしの中で、シャワーをストレスなく使えることは、どんなシチュエーションにおいても嬉しいことだから、満足度は高かった。
手術説明も疑問はなかったし、むしろ案外手術時間短いんだなー、という感想。
あとは、医者からの説明はいつ行われるか全く読めない、というのも病院あるあるなんだなー、と感じたり。
やらかしたとすれば、術前に飲む経口補水液をかなりフライングしたこと。
さすがに注意された。
おしゃんな酢の物
おもわず、シェフを呼んでくれと言いたくなるレベル
さて、手術当日。
わたしは一番最後の手術、オンコールだった。
(前の手術が終わり次第。手術室からの連絡待ちってこと。)
いくつかわたしには恐れていたことがある。
その一つ、浣腸だ。
朝一番、処置室でグリセリン浣腸をしてもらう。
近くのトイレにすぐ籠るのだが、
(ちなみに、グリセリン浣腸は我慢時間不要。即効性があるから、すぐトイレでOK)
予想以上の腹痛、目眩、いかにも「今血圧一気に下がったよなー」ってわかる虚脱感。
本気でナースコールしようか迷うレベルにまで一時陥ったが、深呼吸繰り返し、なんとか症状改善。
何事もなかったような顔で、トイレから出たのもいい思い出。
ちらし寿司なんて、目にも鮮やか!
やっぱ入院中の楽しみは食事で間違いなし。
いよいよ、順番がめぐってきて手術室へ。
時間は14時半だった。
担当の看護師さんと徒歩で向かう。
手術室につくとすぐに、脊椎麻酔の準備が始まる。
海老のように丸くなって、脊柱間を狙いやすくする。
このときの麻酔が痛い、というのは処置の介助に何度か入ったことがあるため、知識はある。
これが、わたしの恐れていたこと、二つ目。
麻酔するドクターや看護師さんたちの心遣いもあり、楽しい話をしながら気を紛らすことができた。
麻酔が入れば、その後に来る、管を通すために穴をあける処置は、圧を感じるのみで大したことはなかった。
以後、プロポフォールが点滴から、じんわり入っていく。
次の記憶はもう術後。
ドクターからの「終わりましたよー」の声で、意識が浮上する。
「覚醒はやいねー」って言われるくらいに良好。
もうひとつ、わたしが恐れていたことは、麻酔が抜けた後の吐き気。
人生の中で何が一番苦痛って、吐くこと!って答えるくらい、わたしには大きなストレスとなる。
痛みより吐く方が辛い。
これはあっけらかん、とするほどなにも起こらなかった。
びびりすぎていただけか、麻酔時間が短かったからか。
ストレッチャーに揺られてもなんとも感じず、安堵した。
お米メインで写っちゃってるけど、お肉も出るんだよ、と伝えたかった写真。煮物も美味しかった。
先ほど、痛みよりも吐き気が辛いという話をしたが
決して、痛みに強いということではない、ということをここで述べておく。
なぜなら、この日の夜は、背中に背負った痛み止めのボトルをフル利用したからだ。
この痛み止めは、PCAポンプといって、15分置きに痛み止めをフラッシュできる、優れもの。
フラッシュするとき以外も、微量ずつ流れているため、常時体に痛み止めが注入される。
夜中ほぼ眠れず、スマホでおぎやはぎのメガネびいきを聴き、心を安静に保つことに注力しつつ、その手にフラッシュ用のボタンを握りしめていた。
それでも、ドレーン挿入部痛はコントロールできず、看護師さんに頼んでアセリオを追加して貰いつつなんとか朝まで耐えた。
朝を迎え、出てきた朝ごはんに目を輝かせ、痛みに耐えながらも完食。
朝一番でラウンドに来たドクターたちからは、元気そうだね!とのお言葉を頂く。
いいえ、夜は痛み止めとおぎやはぎがお友だちでした、とはついぞ言えなかった。
どうしても、お米メインの写りかた…
唐揚げも出たよ!という記録。
わたしは、この時まで脊椎麻酔の威力を半分程度しか理解していなかった。
午前中のうちに、尿道カテーテルは抜くことができた。
すなわち、トイレは自力で通わなくてはいけない。
まどろっこしいものが無くなって、身軽になれたしよかったー!
と思っていたのもつかの間。
想像を越えて、足に力が入らない。
生まれたての小鹿状態。
点滴スタンドにここまで感謝したことはない。
それくらい、まともに歩くことは困難。
その頃はまだコロナによる面会制限はなかった。
これから夫の母や友人が面会に来てくれるから、元気なところ見せねば!という謎の気力で耐えた。
ちなみに、この足の痺れや脱力感は翌朝まで続いた。
退院も間近!という頃に悩まされたのは、腹部膨満感だった。
原因は、腹腔鏡手術だったから。
手術中に空気をお腹に入れながら処置をするためだ。
夜に腹部が辛く感じ、症状改善のために、思い付く限りのことをした。
うつぶせ、腹部マッサージ、トイレ通い…
結局は、漢方を処方してもらって、対応したのだが、案外痛み止めを寝る前に飲む方が症状改善に繋がった気がする。
生まれて初めて、お腹が張って涙が出るという経験をした。
看護師さんには、仕方のないこと、どうしようもない、と言われたのもよき思い出。
退院日の朝御飯
スパニッシュオムレツなんておしゃん
予定通りの日程で退院。
その足でラーメンを食べに行くくらいには元気だった。
それでも帰った日の夜は、寝ながら
痛い痛いとうわ言を呟くくらいには痛みに耐えていたらしい。
自分が感じる以上に、身体的・精神的にストレスを感じていたらしい。
ストレスの影響なのか、退院した一週間後に、猛烈な胃痛に襲われ、救急病院に駆け込んだ。
手持ちの痛み止めと処方された整腸剤で事なきを得たが、自身に降りかかると、想像した以上にパニックになる自分もいたことも事実。
あれだけ人には手術の説明や術前後のケアを行ってきたが、実際経験をしたことにより、今後は自分の経験を基に、よりリアルにオリエンテーションができる気がする。
これに関しては本当に人生の糧となった。
もう一度経験したいかと問われると、
NOとはっきり言える。
そんな、初入院と手術の思い出。
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また、来週お会いしましょう!






