その人らしく生きるとは~最近のカフェ巡りを添えて~
みなさん、こんばんは。
みつきんです。
今回はちょっと重たいテーマ、その人らしく生きるとは?死ぬとは?ということ。
というのも、先日わたしの91歳になる祖母が大腸癌末期で余命宣告を受けました。
素直に悲しかったし、祖母から受けた優しさや愛情を思い出して涙が出ました。
しかし、一方で安堵する気持ちもあったのも事実です。
今回は、何故そう思ったのか。わたしが思うその人らしさとはをメインで書きたいと思います。
内容があまりにも暗くなったら嫌なので、趣味?のカフェ巡りで撮った写真も添えます。
わたしの祖母は、所謂多趣味で常に動き回っているひとだった。
旅行や温泉巡り、友人たちと喫茶店にいく。
そして、長年続けていた点字翻訳のボランティア。小学校などで講演をすることもあったらしい。
定年するまでは、地元の仕出し屋さんで調理員をしていた。
もちろん、作る料理のレパートリーは豊富。
長期休みで祖母の家にいくと、いつも沢山の料理を振る舞ってくれた。
特にお気に入りは、カレーライスとカボチャスープ。
お正月にはおせちのお重も作ってくれた。
宮の森にある月見草珈琲
雰囲気が好きで、何回か足を運んでいる
認知症になり、祖母の行動範囲は著しく狭くなった。
父がいないと混乱をしてしまい、買い物に出ることは難しくなった。
耳が遠いことも災いして、コミュニケーションがスムーズにとれなくなった。
そして、去年の秋に会ったときは私の名前を混乱していた。
北海道立近代美術館の中にある、ni cojikaというカフェ
珈琲も絶品だが、レモネードもたまらなくおいしい。
その人らしく生きるってなんだろう。
好きなことをやって好きな時間を過ごすこと
自分がやりたい、と思ったように舵をとること
ただ、この考えだと病気になって治療を受けたり、入院したり、生活に制限がかかるとその人らしくないということ?とも思う。
それは、あくまで人生の岐路に立たされた 張本人が考えることなのだろう。
北海道では有名なMORIHIKO
苺のメニューが季節柄充実していた
では認知症や意識障害で意志疎通がとりづらい場合は?
これは、周りの人がその人の想いを汲み取るしかないのかもそれない。
そのためにも日々のコミュニケーションを大切にしていくことが必要だと私は思う。
普段どんなことを考えているのか、何に重きを置いて物事を捉えているのか、そして「その時」を迎えたときどういう治療を受けたいのか。
かなりシビアになるから、普段の会話から情報を得ることは難しいことだ。
わたしの祖母は、延命はしてほしくない、管に繋がれて生き長らえたくないよ、とわたしに話してくれていた。
低温調理の豚肉がしっとりしておいしい上に、あっさりしているからか、罪悪感を感じない。
今回、大腸癌の末期で見つかったことは、言葉を選ばなければ、「良かった」と感じた。
中途半端に手術や抗癌剤で改善の見込みがあるとすれば、治療を受けることになったかもしれない。
コロナ渦ということであるからなんとも言えないが、今の医療90代の患者でも全身麻酔下で手術する場合もあるし、抗癌剤治療を受ける場合ももちろんある。
つらい治療を数ヶ月、数年受けながら生き長らえることは果たして、祖母の本意なのか?
かなり悩むことになったであろう。
いちご大福と名のついたカフェラテ
求肥を沈めながらいただく。
コロナ渦で面会は叶わない
話好きの祖母にすると一人で過ごす病院は寂しい時間であろうか。
今は、穏やかにできる限り苦しまずに、残りの時間を過ごして欲しいと願うばかりだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
いつも以上に拙い文章ですみません。
今思っていることを素直に書きました。
よければ、皆さんの考えも聞きたいので、よかったらコメントいただけると嬉しいです。
また来週お会いしましょう~!






