ちゅらら~モロッコと丸と時々ナースな私の365日~ -17ページ目

その人らしく生きるとは~最近のカフェ巡りを添えて~




みなさん、こんばんは。
みつきんです。

今回はちょっと重たいテーマ、その人らしく生きるとは?死ぬとは?ということ。

というのも、先日わたしの91歳になる祖母が大腸癌末期で余命宣告を受けました。

素直に悲しかったし、祖母から受けた優しさや愛情を思い出して涙が出ました。

しかし、一方で安堵する気持ちもあったのも事実です。

今回は、何故そう思ったのか。わたしが思うその人らしさとはをメインで書きたいと思います。

内容があまりにも暗くなったら嫌なので、趣味?のカフェ巡りで撮った写真も添えます。





わたしの祖母は、所謂多趣味で常に動き回っているひとだった。

旅行や温泉巡り、友人たちと喫茶店にいく。

そして、長年続けていた点字翻訳のボランティア。小学校などで講演をすることもあったらしい。

定年するまでは、地元の仕出し屋さんで調理員をしていた。
もちろん、作る料理のレパートリーは豊富。

長期休みで祖母の家にいくと、いつも沢山の料理を振る舞ってくれた。

特にお気に入りは、カレーライスとカボチャスープ。

お正月にはおせちのお重も作ってくれた。




宮の森にある月見草珈琲 
雰囲気が好きで、何回か足を運んでいる


認知症になり、祖母の行動範囲は著しく狭くなった。

父がいないと混乱をしてしまい、買い物に出ることは難しくなった。

耳が遠いことも災いして、コミュニケーションがスムーズにとれなくなった。

そして、去年の秋に会ったときは私の名前を混乱していた。




北海道立近代美術館の中にある、ni cojikaというカフェ
珈琲も絶品だが、レモネードもたまらなくおいしい。


その人らしく生きるってなんだろう。

好きなことをやって好きな時間を過ごすこと
自分がやりたい、と思ったように舵をとること

ただ、この考えだと病気になって治療を受けたり、入院したり、生活に制限がかかるとその人らしくないということ?とも思う。

それは、あくまで人生の岐路に立たされた 張本人が考えることなのだろう。



北海道では有名なMORIHIKO
苺のメニューが季節柄充実していた


では認知症や意識障害で意志疎通がとりづらい場合は?

これは、周りの人がその人の想いを汲み取るしかないのかもそれない。

そのためにも日々のコミュニケーションを大切にしていくことが必要だと私は思う。

普段どんなことを考えているのか、何に重きを置いて物事を捉えているのか、そして「その時」を迎えたときどういう治療を受けたいのか。

かなりシビアになるから、普段の会話から情報を得ることは難しいことだ。

わたしの祖母は、延命はしてほしくない、管に繋がれて生き長らえたくないよ、とわたしに話してくれていた。


MORIHIKOでいただけるランチプレート。
低温調理の豚肉がしっとりしておいしい上に、あっさりしているからか、罪悪感を感じない。


今回、大腸癌の末期で見つかったことは、言葉を選ばなければ、「良かった」と感じた。

中途半端に手術や抗癌剤で改善の見込みがあるとすれば、治療を受けることになったかもしれない。

コロナ渦ということであるからなんとも言えないが、今の医療90代の患者でも全身麻酔下で手術する場合もあるし、抗癌剤治療を受ける場合ももちろんある。

つらい治療を数ヶ月、数年受けながら生き長らえることは果たして、祖母の本意なのか?

かなり悩むことになったであろう。




いちご大福と名のついたカフェラテ
求肥を沈めながらいただく。


コロナ渦で面会は叶わない

話好きの祖母にすると一人で過ごす病院は寂しい時間であろうか。

今は、穏やかにできる限り苦しまずに、残りの時間を過ごして欲しいと願うばかりだ。





ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
いつも以上に拙い文章ですみません。

今思っていることを素直に書きました。
よければ、皆さんの考えも聞きたいので、よかったらコメントいただけると嬉しいです。


また来週お会いしましょう~!