誰かや何かに照らせれて輝く生き方をしていると、いろいろ持っているはずなのに、そこはかとない悲しみのようなものが、オーラに宿るような気がするのです。
優しくて稼いでくれる夫であったり
可愛くて優秀な子供であったり
安定していて条件の良い仕事であったり
自分を照らしてくれる人や物事は何でもいいのだけど
そういう何かがあって
だから自分は幸せのはず
と言い聞かせて
それでもなんだかもの悲しいような
何かが足りないような気がしているなら
きっとそれは
魂が月的な生き方を卒業したがっているのかもしれません。
それがどんな素晴らしいことであれ
誰かや何かに照らされて
光るあなたは
傍から見ると
綺麗に輝いて見えるのだけど
その輝きの範囲が
その時々で増えたり減ったり
まるでお月さまのように
変わりやすかったするのです。
どんなに人から羨ましがられても
いいな、いいなって言われても
なんだかスッキリしないのは
幸せかどうかの基準が
いつも外側にあるからかもしれません。
マイガーデンのエキウムのお花畑
私たちは、特に日本人女性は、子供の頃から月的生き方が素敵💓なのだと洗脳されて生きてきたのかもしれません。
でも、大人になった今、誰かや何かに照らされて、やっと光る生き方に、そこはかとない悲しみを感じているなら、そろそろ自分自身で輝く太陽的生き方にシフトしていってもいいのかもしれません。
フランスから愛を込めて
ミカリュスより