猫界には、猫エイズと猫白血病という不治の伝染病があります。
いずれも血液や体液などから伝染し、一旦感染してしまったら最後、ウイルスは宿主が死ぬまで体の中に留まり、免疫不全の症状などを引き起こす準備に余念がありません。
猫エイズは、発症しなければ16〜7年生きる個体も多く存在しますが、猫白血病は唾液や排泄物から簡単にうつってしまう上、感染してから約4〜5年で発症し、長く生きられる個体は殆どいないと聞きます。
先日、ボランティア仲間の方が、家の近所で倒れていた顔見知りの猫を保護しました。
猫は、雨が降ってもいないのにびしょ濡れで草むらの中に横たわっていたのだそうです。
濡れた体を拭いてもらい、湯たんぼで体を暖め毛布の中で休んでいる猫は、意識が朦朧としている様子でした。
点滴液を温めて皮下点滴を試みましたが、皮膚が弾力のない分厚いゴムみたいに固くなっていて、点滴液は逆流してしまい、補液をすることができませんでした。
ボランティア仲間の方が、朝まで生きていてくれたら病院に連れて行ってくださるとのことでしたので、その夜はひたすら猫の生存を祈りました。
次の日、猫はまだ生きていたので、ボランティア仲間が行きつけの病院に連れて行ってくださいました。
口の中のびらんが酷くご飯が食べられる状態ではなかった様で、点滴のついでに血液検査をしたところ、猫エイズと猫白血病両方に感染していたそうです。
肝臓腎臓の数値も最悪で、手の施しようがない、とのことでした。
次の日、ボランティア仲間のお宅で猫は静かに息を引き取りました。
近くに住む壮年の男性が面倒を見ていた猫でした。
何年か前、猫の去勢手術をお勧めしましたが、猫を自由にしてやりたいから手術も室内飼いも無理、と言われ断られたことを思い出しました。
あの時、去勢手術だけでも出来ていたら、エイズや白血病に感染することはなかったかもしれません。今更ではあるけれど、後悔が残ります。
自由と引き換えに、逃げ回る生活を送る野良猫たちの写真です。
常に苦情の対象となり、非合法的に駆除される危険と隣り合わせの日々を送っています。
猫に皮下点滴が入らなかった時、ネットで点滴方法を検索してみたのですが、点滴の方法は見つからず、代わりに猫エイズに感染した飼猫の治療についてのQ&Aのページが目に入りました。
飼い主は、完治することのないエイズでいずれ死んでしまう猫の生を、治療でいたずらに長引かせることに意味があるのだろうか?という様なことを質問しておられました。
回答は、飼主の責任として猫の現在の苦痛を少しでも和らげてあげるべき、という様な内容が主でした。
古い記事で、その後飼主がどの様な選択をしたのかはわかりませんでしたが、もし最近の質問であれば、私は安楽死をすすめたいと思いながら読んでいました。
苦しむ猫の姿を見るのは嫌、それは人間の勝手かもしれませんが、苦しむ姿を見守り続ける苦痛もまた、大きな苦しみです。
安楽死にしても、命を奪うという重荷を背負う覚悟が必要になるので、これもまた苦しい選択にはなるけれど、双方が物理的な苦痛から解放されるという点で、最善策ではないかと私は思っています。
考えてみれば、飼猫や野良猫たちの救い方にも様々な選択肢があって、それぞれの人間がそれぞれの関わり方で向き合い、悩み、解決の方法を探り続けているところは、みな同じです。
そしてそれは、人間の命においてもおんなじではないかと思うのです。
ボランティア仲間のお宅で亡くなった猫の飼主の男性は、幸せに死ねるのでしょうか。
余計なお世話ですが、少し心配になってしまいました。
猫が野垂れ死するのも、猫の自由です。
病気になるのも、自由なのかもしれません。
人間にも同じ様に言えるのではないでしょうか。
人間も、自由に病気になって、自由に野垂れ死ができるのです。
猫は、身をもって、教えてくれています。
猫のように、全てをそのまま受け入れる覚悟が必要なのかもしれません。
出会いも別れも、全て必然のものとして、ただただ受け入れる。
猫たちがそうしている様に、私たち人間も、静かな最期を迎えたいものです。
