人間の生き方がたくさんあるように、猫の飼い方も人それぞれです。

猫を溺愛するも嫌うも又、自由です。

この飼い方でお願いします!と言いたいところですが、それは無理なお願い。

 

ケージで飼うしか出来ない場合もあります。

ケージ飼いはかわいそうだからと、留守中は屋外に出して飼う人もいます。

解決策が唯一あるのだとしたら、大人の保護猫を分け隔てなく受け入れてくれて、完全室内飼いで最後の時まで飼ってくださる心ある人たちが増えてくれること、これしかないのではないかな、と思っています。

 

 

野良猫を減らす活動においても、様々な考え方、やり方があります。

 

効率よく猫の負担も少ない方法で行うのが一番なのでしょうが、仕事としてやっているわけではないので、活動者本人の都合が優先されるのは仕方のないこと。

仕事が忙しかったり、体調が悪かったり、断れない用事ができてしまったり。

仕事でないとはいえ精一杯やれることを行なっているつもりでも、やり方が間違っていると責められることがあります。あるいは責めてしまうこともあります。

そんなことを繰り返し、いよいよ頭がおかしくなりました。

 

野良猫の不妊手術で、猫が本当に救われていると言えるのか?

道端で死ぬ猫は見たくないけど、不妊手術は死ぬ前に殺しているようなものなのではないのか?

 

しかし、猫に対する苦情は絶えずあり、苦情による猫への虐待も続く、悲しい現実があり、野良猫の不妊手術は止めることができず、今日に至っています。

 

 

いつも思うのですが、猫問題は猫側ではなくて、人間側の問題です。

人間の心のあり方が、問われるところです。

 

 

 

お隣の県と比べると、猫に対する人々の意識は20年遅れているように思います。

…ということは、あと20年頑張れば、お隣の県くらいの協力体制が築ける、かもしれないということですね!頑張ってみます。