言葉を失うとき
いつからか、音楽よりもブログというツールを使って、言葉で表現することに面白みと喜びを感じていた。
しかし、そのピークは過ぎ、年々言葉の数が減り続けている。
このままいけば、言葉を持って自分を表現する欲求を失う時が来るかしれない。
と、ここまで考えて、気づいたのだ。
わたしはそうして言葉を失ったとき、より抽象度の高い音楽に回帰するのだ、と。
水面下では、きっと全て順調なのだ。
ずっと目的地に向かってひた走っている。
迷うことも疑うこともない。
しかし、実際は迷ったり疑ったりしてしまう。
なぜなら、目的地が見えていないから。
わたしは、見えていない目的地に向かって走り続けていた、ということになる。
今までそれに気づいていないわけではなかったけれど、問題にはしていなかった。
だた、最近問題だと感じるようになった。
効率が悪過ぎる。
だから次は目的地を意識に上げることを目標にしようと思う。
スピードと密度
2013年と共に、なにかが終わりに近付いているのを感覚的に感じている。
『脳内図書館』に書くことがなくなってきた、とも。
そろそろブログのリニューアルをする時期がやってきたのかもしれない。
『脳内図書館』を始めたのは2012年の4月だから、約1年半続けたのか。
なんだかもう3年くらい経っている気がするけれど。
この一年半は『スピードと密度』だった。
一週間前の自分が、自分ではなくなる感覚を何度も感じた。
今年が終わるまでに、あと何回その感覚を経験できるのかが楽しみだ。
脱皮
師走らしく、ちょっとオーバーワーク気味。
とは言っても、仕事量で見るなら大したことはない。
ただ、今まで全く無縁だった世界の人たちと接する機会が増えていたり、問題に気付いて盲点だったものが見え、自分の視点がぐるりと変わったり、核にあるトラウマからどうしても逃げられないような境遇に立たされたりしているから、凄く疲れる。
こんな洪水みたいな情報の渦でアップアップしている毎日に、ひとつの確かな予感が生まれている。
なにか大きなものが見えそうな、不思議な感覚だ。
きっと、今のわたしは、さなぎが本能的に、そして命がけで、自らの皮膚を破っている過程と同じような時を生きているのだろう。
とは言っても、仕事量で見るなら大したことはない。
ただ、今まで全く無縁だった世界の人たちと接する機会が増えていたり、問題に気付いて盲点だったものが見え、自分の視点がぐるりと変わったり、核にあるトラウマからどうしても逃げられないような境遇に立たされたりしているから、凄く疲れる。
こんな洪水みたいな情報の渦でアップアップしている毎日に、ひとつの確かな予感が生まれている。
なにか大きなものが見えそうな、不思議な感覚だ。
きっと、今のわたしは、さなぎが本能的に、そして命がけで、自らの皮膚を破っている過程と同じような時を生きているのだろう。
時
わたしが親しくしている人たちは、本当に頭の良い人が多い。
恵まれているな、と思う。
この縁に、毎日感謝してる。
既成の価値観を核とし、大層完璧に作り上げてしまった自分の宇宙をブッ壊し、上がりたい。
きっと行ける。
聡明な皆に助けられ、支えられているから。
恵まれているな、と思う。
この縁に、毎日感謝してる。
既成の価値観を核とし、大層完璧に作り上げてしまった自分の宇宙をブッ壊し、上がりたい。
きっと行ける。
聡明な皆に助けられ、支えられているから。