白洲 正子
西行

いつか再読したい本。

実は、この本、私が読むには何十年と早かった気がします。

西行に感心があって、読んだわけではなく、
白洲正子さんに興味があって、Amazon で見てみたら、この本が上位にランクインされていたので、安易な気持ちで読んでみたのです。

ですが、この本を読みこなすには、事前にきちんとしたものが
なくてはならないと、痛感しました。

今の私に足りなかったのは、

・日本史の基本的な知識
・西行に対する、最低限の知識
(これは、事前に『山家集』の現代語訳を読んでおくべきだったと痛感しました)
・和歌に対する知識
・古語の読解能力

などです。

これらが、少しでも足りていれば、もっと楽しめたと思います。

だから、今の私には白洲さんの伝えたかったであろうことは全然受け取れていなく、
おバカなことしか書けなくて情けないのですが、

おもしろかったと思うところを私なりに・・・。

西行は、待賢門院(じけんもんいん)という女性を、とても愛していました。
(読んでいるこちらも、切なくなるくらいに)

ですが、この待賢門院の生い立ちが、なかなか昼ドラなのです。

待賢門院は生まれてすぐに、白河法皇の寵妃・祇園女御の養女となります。

この待賢門院、幼時からすぐれて美しい子供だったらしく、
白河法皇は、孫のように可愛がったそうなんです。

がっ!白河法皇、かわいさのあまり(?)
待賢門院が13歳くらいの頃から、手をつけてしまったそうなんです・・・。

その頃、白河法皇はすでに60歳に達していたとか!

しかも、白河法皇、その待賢門院を、自分の孫の鳥羽天皇のお嫁さんにしちゃうんです。

そして、お嫁さんにしたあとも、
白河法皇は、待賢門院との関係を続け、

結局、待賢門院は白河法皇の子供を産みます。

でも、そのあと、ちょっぴり哀しいのは、
鳥羽天皇が、その子供を ”叔父子(おじご)” と呼んでいたこと。

祖父の白河天皇の子供だから、”叔父” であると同時に、
名目上は、自分の ”子” でもあるから・・・という理由で。

他にも、この待賢門院、なかなかおもしろいエピソードをたくさん持っています。

そして、肝心の西行ですが、
日本各地、さまざまな場所へ行き、
紆余曲折、悩み苦しんだ末に、辿り着いた境地・和歌には感動します。

が、まだまだわからない点も多く、
これから他の本も読んでみたいなと、興味もそそられました。

そして、白州さんの行動力や
時々ハッとさせられたり、心に染みる一文があったりする、その文章力もとても魅力的でした。

これから日本史や和歌の知識も増やして、
あと何十年かしたら、ぜひ再読したいと思える
重厚な本でした。