玄侑 宗久
釈迦に説法

「へぇ」とタメになる。

禅僧でもあり、芥川賞作家でもある玄侑 宗久氏の、
初めてのエッセイ集。

今となっては、ちょっと懐かしいアゴヒゲアザラシのタマちゃんのことや
小泉内閣メールマガジンのことなど、時事ネタが多いです。

しかも、ものすごく玄侑さんの知識の幅が広くって、
もちろん、仏教・禅の知識だけでなく、

遺伝子や物理、宇宙の話など、
理系や、難しい言葉に弱い私は、ちょっとキビシイところもありました。

ですが、言葉の語源のような、ちょっとしたトリビアは
「へぇ」と楽しめました。

例えば、
「めでたい」は、動詞「愛でる」に願望の助動詞「たい」がくっついたもの。

「ネコもシャクシも」は、ネコが禰子(神道の信者)で、シャクシが釈子(仏教徒)のことだったり。

「自」然の「分」身を「自分」と考えたり・・・。

特に「いろは歌」はおもしろくって、
TVで、無罪で殺された人の恨みの歌だとか、ちょっとホラーな感じで紹介されていたりもしましたが、

この本では、「有為の奥山」を越えることを「死」と捉えます。
それも、暗かったり恐かったりってイメージじゃなくて、
山並みの向こうの光の中へ行く感じ。

それは「死」と捉えるだけじゃなくて、「人生の再出発の歌」と捉えることも出来る、と玄侑さんは書いています。

そういうちょっと宗教的な死生観のある歌で、日本人が言葉を覚えて、
それが今でも日本人のどこか奥深くに流れてる、

そのことに、私はちょっと嬉しい感動を覚えました。