Chap.1 夕暮れ (3) | michikoのひとりごと

Chap.1 夕暮れ (3)

Chap.1の始まりはこちらです
「KO”S$、$S……YEeMnida」
「あれが……い…家?」
小屋というか、わら屋根というか、……川沿いの林を抜けて、急に開けた場所にその集落は広がっていた。そう、それが「竪穴式住居」であることは、歩美もうすうす予測していた。そう思ってみれば、その集落の家々は、それなりに清潔に作られていた。
 藁があるということは、稲作がもう始まっているんだ。家々の中央には広場があり、そこにはひときわ高く、木造の高床式の建物が建てられていた。弥生時代初期……かな。妙に冷静に、歩美の中で語る声がある。一方で、どうして、いったいどうなっちゃったのよ……とうろたえている自分も感じていた。

「$S……YEeMnida」女が繰り返す。
腕を前に突き出し、大きな円を描くようにしながら……。
そう、私が気になっていたのは、そのゼスチャー。今さらのように気がついて、歩美はショックを受けていた。何と言ったらいいのか、ここが古代であることは、納得とは言えないまでも、了解していた。事実だから仕方がない。それに、言葉が通じないことも分かっていた。それでも、音韻に懐かしいサウンドがある、ということは、単語や文法に類似性があるからだと独り決めしていた。単位の関係で、専門には関係のない「音韻学」という教科を取ったのが、少しは役に立つかもしれない、などと考えて結構楽観的でもあったのだ。

 自分でも、楽観的な性格だとは考えている。ありのままを受け入れて、何とかなるさ、で片付けていく、良くも悪くもめげない性格だと思っている。でも、今ショックを受けていた。説明が難しいのだけど、歩美は、ついさっきまで、ここが日本で、古代であろうとなんであろうと、日本語である以上、必ずコミュニケートできる時が来る、それもじきにできると信じていたところがある。だから確信を持って、女と意味の分からない会話を続けてきた。音と音、声と声をぶつけ合い、なるべく、音の近い単語を探して繰り返し、ゼスチャーで意味を補足して、女とコミュニケートしてきた。それもだんだん分かるようになってきたという自信が出てきた時だった。

 歩美のショックは、自分が勝手な独り合点をしたと分かったこと、自分の『理解した』と思った単語が、実は別の意味だったらしいと分かったことから来ている。歩美は、YEeは『家』のことだと理解していた。今の女のゼスチャーで、YEeとは集落全体を指す単語だと分かった。だとすると、AgaYEeは、『わが家』じゃないのね。
 そう考えてくると、今まで分かっていたつもりでいたすべてが、何だか霧の中に空中分解していく気がする。歩美は、生まれて初めて、絶望的な孤独感を感じていた。自分が、まったく違う世界に来てしまったのだということを改めて感じた。日は既にとっぷりとくれていたが、集落の中央の広場で焚かれている、かがり火に照らされて、手前の家々が黒く闇の中に浮かんでいた。

「(KY’!」
歩美の不安を敏感に察したらしく、女はしっかりと肩を抱きかかえるようにして歩き出した。歩美もぼうとしながらではあったが、女に身を寄せ、前を見て歩き出した。

 歩く。歩く、歩く。家々のシルエットが次第に視界いっぱいに広がり、人の話し声、物を打ち鳴らす音、鳥の声、獣の雄叫び、ガサガサという生活音、火のはぜる音などが戻ってきた。食べ物の匂い、煙の匂いもする。そこには確かな現実があった。と同時に、いつ何時にでも、別の現実に戻れるという『夢』的な不安定さも確かにそこにあった。

 「決めた、私は今、ここにいる。夢なんかじゃない。」
なにかを振り払うように、歩美は自分に語りかけた。
 歩く、歩く。そう、いつも私はそうしてきた。歩いているうちに、いつでも答が見つかった。一度失いかけていた自信がよみがえってきた。

「Yume?……’zf[l#uqf……」
歩美の『夢』という言葉を今度は女が聞きかじったらしい。そして、その言葉は、この女と仲間たちにとって決定的な言葉であるらしかった。女が、歩美の目をのぞき込むようにしてうなづく。と、誘われるように、歩美は思わずうなずき返していた。

「’zf[l#、’zf[l#!Yume、Yume!」
女の叫びに応えるように、縦穴の粗末な住居から、驚くほど大勢の人々が現れてきた。男もいれば女も、若者もいれば、老人もいた。みんな同じような麻の服を着け、同じように何か憑かれるような目の輝きをしていた。ふと気がつくと、歩美は広場のかがり火の前に人々に囲まれるようにして立っていた。集落中の人が出てきたように思えるのに、奇妙な沈黙があたりを支配していた。ただ、パチパチとはぜるかがり火の音さえ、静寂を強調しているようだった。

 何か言わなければ……何か……何かを、みんなが期待しているのだから……。気が遠くなりそうな緊張の中で、音が歩美の喉の奥で弾けるように、あふれ出してきた。考える間もなく、歩美は叫んでいた。
「海よ。海へ行くのよ。海よ。」

 「UMI、AUMI、……AGAMI、<UMI!」歓声と共に、谺のように歩美の言葉を繰り返す人々のざわめきが、大きな反響となって歩美の耳を打った。
またやってしまった。何か決定的なことをいつも、考えなしにやってしまう。
でも、そんな反省をするよりも、人々の興奮と、歓声の中に溶け込み、自分も叫び続けていることの方が心地よかった。

 「そう、海よ、海……海!」歩美は叫び続け、人々は応え続けた。
いつしか、歩美の手に飲み物の器が渡され、歩美は何の疑問もなくそれをすすっていた。食べ物もあとからあとから回されてきた。決して豪華な食卓ではないものの、それは十分に豊かな『宴』だった。
 飲み、食べ、騒ぎ、そして時々思い出したように歩美は「海!」を叫んだ。そして、それが必ず人々の反応を生むことが、とてつもなく愉快で、大きなことのように思われていた。

 こうして、古代での第一夜がふけていった。
(4)へ続く